中国シルクロードの旅(トルファン 高昌故城・交河故城) |
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トルファン[高昌故城・交河故城] |
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中国新疆ウイグル自地区・吐魯番(トルファン)へは夜行列車で移動です。
敦煌には最近(2006.3.3)「敦煌鉄道」が開業し、敦煌新駅が空港近くに出来ました。しかし、この鉄道は蘭州−敦煌新駅間を結びこの新駅が終点のため、敦煌からウルムチ方面へは今まで通り市内から約120km離れた柳園駅を使うことになります。
敦煌を出発したバスは柳園へ向けて何もない砂漠地帯の一本道を猛スピードで走ります。
太陽が大平原に沈み、対向車と時々すれ違うことはあっても、それ以外は光も見えない夕闇の中を走り抜き約2時間半かけて柳園駅に到着します。
柳園の駅前は、旅館や食堂、食料品店しかなく、敦煌の玄関口としてはさびしい場所でした。しかし、列車を待つ人たちが沢山集まってきていました。
私たちの乗る列車はウルムチ行の特快列車・軟臥車です。軟臥車は1等寝台車で2段ベットが二つの4人用個室です。
ただし、日本の寝台車と異なり仕切りのカーテンがないので、女性は困るだろうなぁと、思いますが・・・。
私たちの室も最初は夫婦?連れの相部屋でしたが、添乗員のリンさんの強引な斡旋が功を奏し別の部屋との交換が成立してツアーの人たちと同部屋になることができました。
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夜行寝台列車
定刻の21:20に列車は静かに動き始めて柳園駅を出発。
吐魯番(トルファン)まで715kmを約9時間かけて走ります。
早朝6時過ぎに吐魯番(トルファン)駅に到着。しかし、町までは約70km離れています。 |
室内は2段ベット
天井裏はスーツケースの
収納場所となっている |
車中では、この旅で知り合いとなった
イケダさん、ハラダさんと添乗員のリンさん。
深夜まで酒を酌み交わし
グッスリ安眠したのはいうまでもありません。
(手前右がリンさん優れた添乗員さんでした)
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列車洗面所 |
給湯器
お茶やカップラーメンなどで使用 |
トイレ
さすが一等車できれいでした |
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街から南東へ45km、火焔山のすぐ南に位置するアスターナ古墳群からさらに4kmのところにある。
周囲5kmの広大な土地に高さ10mの城壁(土壁?)が囲む。ここが高昌故城跡である。
漢代に屯田が置かれたところで、以後元代に至るまで約1000年を越え新疆地区の政治・経済・文化の中心として栄えた。
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経典を求めて天竺への旅を続けていた玄奘三蔵は高昌王に懇願されて1ヶ月間この地に滞在し仏教の講義をしたといわれる。そして高昌王からそのお礼に黄金100両、馬30頭など20年分の旅費を与えられて天竺へ向かった。10年後に玄奘三蔵が帰国の報告をするために立ち寄ったときには高昌国は唐に滅ぼされていたという。
入場料:20元 ロバ車:5元 |
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日干しレンガでできた建物は風化してしまっている
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故城めぐりはロバ車が一番。
ただしロバにとっては案内人を乗せて15人は大変きつそうでした。
画面をクリックすると Movie |
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随分と大きな町であったようだが、今はその姿を想像するのも難しい |
荒涼とした市中?
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観光客相手の舞踊団?
記念写真は10元 |
修復中の大仏寺 |
土煙が舞い上がるのでマスクが必需品 |
モスク |
中は修復中
雨がほとんど降らないので
日干しレンガが使われている |
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The Movie |
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交河故城は町の西10kmにあるヤルナイゼ川の中州にある前漢代の都市の遺跡です。交河=文字通り二つの川の交わる台地に作られた城です。
2本の川に削り取られた断崖は約30mもあり難攻不落の要塞となっています。
前漢から後漢にかけて吐魯番(トルファン)の政治の中心となっていたところ。
499年に高昌国が興ってからは衰退の一途をたどった。
東西300m、南北1650mの長大な場内には官庁街、住宅街、大仏寺など寺院が配置されている。
しかし、日干しレンガで作られた町は、長い年月の時を経て崩れ去ったものも多い。 |
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