中国三千年の歴史を訪ねる旅(蘇州2)  .
 
中国三千年の歴史を訪ねる旅


蘇 州 A

虎丘塔(別名雲岩寺塔)

八角形で七層の虎丘塔は、煉瓦づくりでその高さは47.5mです。宋王朝の961年に建てられました。400年前から地盤沈下のため傾き始め、現在は北に15度傾いて中国のピサの斜塔と呼ばれています。

虎丘は唐代大詩人蘇東坡によって「到蘇州不遊虎丘者、乃憾事也」(蘇州に来て、虎丘を遊ばずには、誠に遺憾なこと)と詠われています。その名の由来は、春秋戦国時代、呉王の夫差が父親を剣池に葬ったが、その3日後、白い虎が現われ、墓の上にうずくまっていたと言われ以来人々から「虎丘」と呼ばれるようになった。


   北寺塔(報恩寺塔)

蘇州で最も古い仏寺である報恩寺境内にある塔で、通称北寺塔。八角九階、高さ76mで、かつては 蘇州でもっとも高い建築物であった。

三国時代、呉の赤烏年間(西暦247〜 250年)、孫権が母の恩に報いるため築造したもの。

現在の建物は南宋の時代の 1153年に大規模改修されたもの。



拙政園(せっせいえん)

 蘇州には、現在、世界文化遺産に登録された4大庭園がある。「拙政園」「留園」「獅子林」「滄浪亭」の4つで、どれもが私家庭園であった。
江南の古典庭園の代表とも言われる「拙政園」は、明代の1506年に、御史(役人の弾劾をつかさどる役職)の王献臣が、官職を追われ蘇州に隠居したときに造ったもの。
「拙政園」の名前は、「潘岳」の書いた『閑居賦』のなかの「拙者、政するは悠々自適、閑居を楽しむことなり」という部分からとったという。
 蘇州の庭園は、江南地方の水郷を利用をしたものが多く、大変趣があり(庭園はあまり大きいとはいえないが)いろいろと工夫されている。
たとえば、自然との調和を考え、白い壁・黒い瓦・鳶色の柱などで落ち着いた感じのものが多い。 庭園の約5分の3が大小の蓮池が占めていて、蓮池の周りに吾妻家、橋、回廊、緑が水面に映って美しい景観を構成している。




入場口(太湖石))
「拙政園」
・時間:7:30〜17:30
  (入場は17:00まで)
・料金:20元
 


拙政園からの北寺塔
面積が5haもある園内は、東部・中部・西部の3つの庭園で構成されており、池が巧みに配置されています。その見事さにおしゃべりな私でさえ言葉がでないほどです。そして、水際に築かれた主要な建物は自然で独特な趣きがあり、随所に、借景や対景など庭造りの技法が活かされています。特に、中部庭園にある「遠香堂」から眺める風景は、借景である北寺塔と南の峰、北の蓮の花、西の梅がすべて見てとれゆったりとした時間を過ごすことが出来ます。


中園の中ノ島に建つ荷風四面亭

中園にある遠香堂

ハスの池



|   |◆CHINA(TOP) |

inserted by FC2 system