風まかせ自遊山歩(等々力渓谷) .
等々力渓谷

小学校の同級生・・・・小学校を卒業してそろそろ60年も経ちますが・・・・と、地元(尾山台)で花見という話となりました。
元6年2組の"鼻タレ"小僧達も、いまや家族から見放された”放たれ”老人化している6名が参集。
まず、訪れたのは等々力駅からすぐ近くの等々力渓谷。そして、等々力渓谷から多摩川の土手沿いを武蔵工業大学(現東京都市大学)まで歩き、武蔵工の傍にあるナザレン幼稚園へ。ナザレン幼稚園は私が65年前に卒園したところ。なんと!その第一期生でした。
ナザレン幼稚園から環八までは、急な上り坂「狐塚坂」があります。その途中に狐塚古墳があり、そこに上がって60数年前に見た同じ多摩川の風景に一同涙?したものです。

古墳の近くには、幼馴染の「あっちゃん」と通った英語塾の「モクナカ」先生宅があったはずと、家を探して路地奥に・・・・。それらしき住居を発見するも、当然別の人の家でした。

そして、尾山台ハッピーロードにある中華料理店「圓楽」にて、楽しく宴会して解散となりました。


その、昔よく遊んだ等々力渓谷もすっかり整備されていて、昔日の面影もなくなっていましたが、そこかしこに記憶の残る場所もあり、昔話に花が咲き楽しい一日となりました。




等々力渓谷は、東京23区内で唯一の渓谷で東京都の名勝に指定されています。
最寄駅は東急大井町線・等々力駅。駅から5分ほど歩くとゴルフ橋があり、そのたもとに「等々力渓谷公園入口」があります。ゴルフ橋とは、その昔、玉川ゴルフコース(等々力ゴルフコース)があったのでそう呼ばれています。
 階段を下ると、谷沢川があり、それに沿って1Kmほど渓谷となっていて、川沿いに遊歩道が整備されています。
また、渓谷内には、日本庭園や横穴式古墳、不動の滝、等々力不動尊があり、武蔵野れき層などの断層などが見られます。
等々力渓谷 >>    


東急大井町線・等々力駅

等々力渓谷公園入口

等々力渓谷公園入口の看板

ゴルフ橋
昔玉川(等々力)ゴルフ場があったところにかかる橋






昔日の面影は・・・・
全くないのは私たちかも。

私たちが少年時代に遊んでいたように、
今の子供たちも水遊びをしていました


この辺には防空壕がたくさんあって、その中が遊び場でした。あるとき、防空壕の中でたき火をして、煙が外に出て、消防車を呼ばれたことも・・・・。今だったら大変な騒ぎになるところでした。



3号横穴墓

 等々力渓谷の周辺では、古墳時代末期から奈良時代にかけて造られた横穴墓が6基以上も発見されている。この3号横穴墓は昭和48(1973)年に発見されたもので、奥行きが13mで、徳利を縦に半分にしたような格好をしている。 副葬品が豊富に出土したので、この地域を治めていた有力者と推定されている。、


稚児大師堂
稚児大師は、弘法大師の幼い時の呼び名






不動の滝

私たちが少年時代から流れ出ている滝。2つの龍の口からの水が谷沢川に流れ落ちている。なお、等々力という地名の由来は、この滝の轟く音から呼称したという説もあるとか。



茶屋の横の階段を登りきると万願寺(等々力不動尊)


等々力不動

万願寺・等々力不動尊


展望台からの等々力不動公園
不動堂の隣にある公園。160本近くある桜も満開


万願寺山門

多摩川の土手

多摩川土手の桜。
私たちと同様、この桜は年老いていますが、いまだに見事に輝いております。
それに引き替え、我々G6(爺6)といえば ・・・・輝くところが違います。





ナザレン幼稚園

ナザレン幼稚園


私は昭和26年卒園の第一期生でした




 多摩川に南面しており、武蔵野台地の南端部にある5世紀後半から6世紀の豪族の古墳。この上にお稲荷さんが祀られていたので狐塚と呼ばれています。古墳の直径は元は約40mぐらいあったと考えられますが、今は道路や人家に削りとられて、東西34m、南北30mになっています。


狐塚の急な坂
狐塚古墳
昔は草ぼうぼうで、親から「危険だから近づいてはダメ!」と言われていたところ。
もちろん、親の言うことは聞かずに遊びまわっていました。


尾山台ハッピーロード
尾山台ハッピーロード
子供のころはもっと広い道路のような気がしましたが・・・・。
尾山台の中華屋さんで反省会?
飲み放題は、老人にはつらいと言いながら結構な量を飲みました。

  (風まかせ自遊山歩)

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[2016.4.3] .
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