城下町てくてく歩き(長浜城)   .
城を訪ねて、てくてく旅


(滋賀県・長浜市)
 
藤吉郎の長浜城は日本百名城ではありません。そのワケは・・・。

琵琶湖畔に築かれた長浜城     

長浜城は、昭和58年(1983)に再建され、
現在は歴史博物館となっている


織田信長が信長の妹・お市の夫である浅井長政(あざいながまさ)の小谷城(おだにじょう)を攻めたとき、木下藤吉郎は落城する直前にお市と三人の娘を救出するなどして戦功をあげました。
その功により信長から天正元年(1573)9月、浅井氏の領地の大部分を与えられ、 羽柴秀吉(はしばひでよし)と名乗り、はじめて城持(しろもち)大名に出世しました。
当時は今浜という地名でしたが天正3年に城が完成すると信長の「長」をとり長浜と改名して、その後天正10年まで自らの居城としていました。(さすが親分の一字をつけるなどヒデヨシは世渡り上手ですね)
その後、山内一豊、内藤信成が城主となりましたが、豊臣家が滅亡すると、1615年に長浜城は廃城となり建物、石垣など多くの材料が彦根城の建設のために使われてしまいました。
大通寺台所門・知善院表門・彦根城天秤櫓は長浜城の遺構であると言われています。
現在の長浜城は昭和58(1983)年に犬山城や伏見城を参考に模擬復元されたもので、その理由から日本百名城には含まれていないようですが・・・。

天守閣



安藤家屋敷
長浜を南北に貫く北国街道は、かつて江戸日本橋を起点とした五街道に次ぐ重要な道で、多くの武将や旅人の往来、荷物の運搬でにぎわったといわれています。
現在は江戸時代の面影を残す古い街並みを生かしたまちづくりが行われています。

黒壁スクエア・黒壁ガラス館1号館
明治33年建造の旧第百三十銀行長浜支店を 平成元年から原形復旧を行ない世界中のガラス作品を収集した「黒壁ガラス館」としてよみがえらせました。
洋風土蔵造りに黒漆喰の壁という和洋折衷の様相から「黒壁銀行」の愛称で庶民に親しまれています。


2006年10月14日開業した新駅舎
)初代は日本最古の現存する駅舎

駅前の秀吉と三成の像
石田佐吉(のちの三成)は、この地長浜市石田の生まれ。はじめて秀吉と出あった逸話をあらわす像が駅前に立っていました。


仕事で数十年前に来たことがありますが
この町も町おこしで随分変わったようです


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