慶長6(1601)年、徳川家康の命により足利学校の第9代の学頭であった閑室元佶(かんしつげんきつ)師を招き伏見に学問所=圓光寺学校を建立したことに始まる。足利学校にも匹敵する学問所として繁栄した圓光寺は、別名「洛陽学校」と呼ばれていた。 圓光寺版と呼ぶ図書を出版、当時の木活字(重文)が現存する。寛文7(1667)年にこの地へ移転した。