仁風閣は、明治40(1907)年5月に、鳥取池田家の第14代当主池田仲博侯爵が、のちに大正天皇となる皇太子・嘉仁親王の山陰行啓の際の宿泊施設として建てた別荘。
設計者は、赤坂離宮をはじめ、京都国立博物館など、数多くの有名建築を設計し、当時の宮廷建築の第一人者と云われた片山東熊(かたやまとうくま)博士が担当した。
現在は資料館となっており、鳥取藩や池田家にまつわる資料が展示されている。2階バルコニーからは鳥取市の名勝である宝隆院庭園を一望することができる
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鳥取駅
鳥取駅から100円バスで⑪仁風閣前で下車 |
唱歌「ふるさと」は鳥取出身の岡野貞一さんの作曲によるもの
◆作詞:高野辰之(長野) |
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鳥取城三階櫓跡と仁風閣
仁風閣門
仁風閣
フレンチ・ルネッサンス様式を基調とした白亜の木造瓦葺2階建ての洋館で、国の重要文化財に指定されている。
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↑ (C)公益財団法人 鳥取市文化財団
設計 : 片山東熊、橋本平蔵
施工: 浜田芳藏
起工: 1906年9月
竣工: 1907年5月
敷地面積: 7,200m²
延床面積: 1,046m²
構造: 木造・地上2階
総工費: 43,335円 |
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「仁風閣」額(東郷平八郎直筆)
嘉仁親王(のちの大正天皇)の山陰行啓の際に、元帥・海軍大将の東郷平八郎がお供として同行していたが、彼が「仁風閣」と命名した。 |
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御座所 |
謁見所 |
御食堂 |
らせん階段
硬い欅の厚板を6枚つないで出来ていて支柱がないのが特徴。 |
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二階から見る宝隆院(ほうりゅういん)庭園
宝隆院庭園
この庭園は、17歳で亡くなった第11代藩主池田慶栄の夫人宝隆院(ほうりゅういん)を慰めるために、文久3(1863)年、第12代鳥取藩主池田慶徳が造営した。
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鳥取城址からの仁風閣
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