慶長5(1600)年9月15日、徳川家康率いる東軍(7万4千)と毛利輝元を総大将とした石田三成が率いる西軍(8万2千)が、この地関ヶ原で激突しました。豊臣秀吉没後の主導権をめぐる「天下分け目の戦い」としてもよく知られています。
俄(にわ)か歴史好きの私にとって、天下分け目の戦いとなった関ケ原の地に立つことは長年の夢でもありました。
私は武蔵の片田舎の生まれなので、きっと東軍に組み入れられ、槍を持たされ最前線で突撃を命じられる立場の雑兵だったはずです。
死ぬのが怖いから恐らく逃げ回って、戦いが終わるのをじっと待っていたと思います。
そのようなわけで、逃げ回って生き延びた地?を訪れる必然性があったので、馬ならぬ電動自転車に跨り、関ケ原の地を走り回ってきました。
(関ケ原の戦いは、最近の研究によれば実際の様子は、これまでの認識とは異なることが多々あることが分かってきたようです。それを頭に入れながら歩き回るのも楽しいことでした)
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