現存天守閣・12名城めぐり(滋賀県・彦根城)   .


(滋賀県彦根市)   


玄宮園からの彦根城
彦根城は、姫路城、松本城、犬山城、松江城とともに国宝城郭のひとつです。
 (彦根城には2009.4.3と2014.11.25に訪問しました)


太鼓門櫓方面からの天守閣




彦根城は、徳川家康の命により井伊直勝(直継)によって彦根山へ築城されました。
慶長9(1604)年に着工し元和8(1622)年に完成しました。
天守は近くの京極高次の大津城から、西の丸三重櫓は浅井長政の小谷城から、天秤櫓は豊臣秀吉の長浜城から、太鼓門は石田三成の佐和山城からそれぞれ運び込んで移築したといわれます。

井伊直勝(直継)の弟・直孝は、その後井伊家の家督を継いで秀忠、家光、家綱の三代にわたって、将軍の執政となり、幕府政治確立にも貢献しました。その功により譜代大名としては例のない30万石大名になっています。(彦根35万石といわれるのは、このほかに幕府領5万石の預かりがあったため)

彦根城の別名「金亀城」の名は、彦根城築城前、彦根山上にあった寺院に金の亀に乗った観音像が安置されていたからと言われています。










佐和口多聞櫓

中濠



急な階段を登って行くと廊下橋下へ
出る



廊下橋と天秤櫓
表門から坂を上がって行くと廊下橋が見えてきます。城攻めにあったには、この橋は落とされ本丸へ入れないようにした。当時は両側に壁、また、屋根付きの橋で、外からは人の動きが見えないような造りであった。



天秤橋下をくぐり虎口へ出る


天秤楼
左右対称に建てられていて天秤のような形をしているところから天秤櫓と呼ばいる。この天秤櫓はかつての豊臣秀吉の居城・長浜城(大手門)から移築したもの。




天秤楼内部



太鼓門櫓
太鼓門をくぐりと天守閣へ


天守閣
三階建ての3重の屋根(3重3階)で構成されている。切妻破風、入母屋破風、唐破風屋根を重ね合わせいて2、3階には花頭窓(かとうまど)、3階には高欄(こうらん)付きの廻縁(まわりえん)がめぐらされている。この造りには一種独特の美しさがある。(写真は2009.4.3訪問時のもの)


花頭窓(かとうまど)が特徴的

天守一階内部
窓の下に鉄砲狭間(ざま)や 矢狭間が備えてある。

井伊直弼像
桜田門外の変で有名な彦根藩十三代藩主である井伊直弼は、11代藩主直中の14男として生まれました。
安政5(1858)年4月、幕府の大老となった直弼は同年6月「日米友好通商条約」に調印して開国を断行しました。
その後、井伊直弼は安政の大獄で反対派の水戸藩に対する弾圧を強めたため、水戸藩を脱藩した尊攘派志士であった高橋多一郎、金子孫二郎、関鉄之介らによって万延元(1860)年3月3日、雪の桜田門外で襲撃されてしまいました。ときに46歳でした。
 
天守三階の梁
彦根城天守最上階には天井板は張られておらず、曲がりくねった梁組が露出している。
玄宮楽々園 
090403,141125

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