現存天守閣・12名城めぐり(滋賀県・彦根城)   .


(滋賀県彦根市)   


玄宮園からの彦根城
彦根城は、姫路城、松本城、犬山城とともに四つの国宝城郭のひとつです。



太鼓門櫓方面からの天守閣


彦根城は、徳川家康の命により井伊直勝(直継)によって彦根山へ築城されました。
慶長9年(1604)に着工し元和8年(1622)に完成しました。
天守は近くの京極高次の大津城から、西の丸三重櫓は浅井長政の小谷城から、天秤櫓は豊臣秀吉の長浜城から、太鼓門は石田三成の佐和山城からといったように、各所の城から運び込んで移築されたといわれます。

井伊直勝(直継)の弟・直孝は、その後井伊家の家督を継いで秀忠、家光、家綱の三代にわたって、将軍の執政となり、幕府政治確立にも貢献しました。その功により譜代大名としては例のない30万石大名になっています。(彦根35万石といわれるのは、このほかに幕府領5万石の預かりがあったため)

彦根城の別名「金亀城」の名は、彦根城築城前、彦根山上にあった寺院に金の亀に乗った観音像が安置されていたからと言われています。

ところで、桜田門外の変で有名な彦根藩十三代藩主である井伊直弼は、11代藩主直中の14男として生まれました。
安政5年(1858年)4月、幕府の大老となった直弼は同年6月「日米友好通商条約」に調印して開国を断行しました。
その後、井伊直弼は安政の大獄で反対派の水戸藩に対する弾圧を強化したため水戸の尊攘激派志士高橋多一郎、金子孫二郎、関鉄之介らは脱藩し、薩摩の同志と連絡をとり、井伊大老襲撃の暴挙が実行されました。
井伊直弼は万延元年(1860年)3月3日桜田門外で春雪に血を染めて横死しました。ときに46歳でした。






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佐和口多聞櫓

中濠

急な階段を登って行くと廊下橋下へ

廊下橋と天秤櫓

天秤楼(長浜城大手門を移築)

天秤楼

天秤楼内部

太鼓門櫓
太鼓門をくぐり天守閣へ

天守閣


楽々園

楽々園
楽々園は第4代藩主直興により1679年(延宝7)に完成、その後数回にわたり増改築がおこなわれたとのこと。
往時には能舞台を備えた広大な建物であったが、現在では書院や地震の間、雷の間、楽々の間などが残っているだけである。

楽々園・けやき御殿

楽々園庭園


玄宮園


玄宮園

城の北東・楽々園に隣接している旧大名庭園で、4代藩主直興が延宝5年(1677)に造営したもの。
中国唐時代の玄宗皇帝の離宮をなぞらえたもので、江戸時代初期の庭を現代に伝える名園。
大きな池に突き出すように建つ臨池閣(りんちかく)、凰翔台(ほうしょうだい)といった建物のほか池の周りには中国洞庭湖(どうていこ)の瀟湘(しょうしょう)八景にちなんで選ばれた近江八景を模し、竹生島(ちくぶしま)や沖の白石を表現するために樹木や岩石も配置されています。

臨池閣(りんちかく)

09.04.03

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