現存天守閣・12名城めぐり(長野県・松本城) .
 
(長野県松本市)   
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松本城は戦国時代の永正元(1504)年、この地方に大きな勢力を持っていた小笠原貞朝が一族の島立貞永に命じて築城させた。当初は深志城と呼ばれていた
後に甲斐の武田氏の侵攻を受け小笠原氏は没落、武田氏は深志城を拠点として松本平を支配下においた。
武田氏滅亡後の天正10(1582)年徳川家康の配下となった小笠原貞慶が旧領を回復し、深志城を松本城に改名した。

松本城の天守は五層六階の大天守を中心に、三層の乾小天守を渡櫓で連結し、さらに二層の辰巳附櫓と一層二階の月見櫓を複合した均整のとれた珍しい構成となっている。

大天守は五層六階としては現存する我が国最古のもの。

松本城へは何度か訪れているので掲載写真を差替えています



五層六階としては現存する我が国最古の天守



松本城縄張り図



太鼓門口
この時は孫も一緒

太鼓門
太鼓門枡形の一の門。江戸時代は倉庫として使用されていた。太鼓門北側門台上には太鼓楼があり鐘と太鼓で時を知らせた。

太鼓門の巨石・玄蕃石
松本城最大の石で、権威を見せつけるために入口に置いた。重さ約22.5トン(玢岩/ひんがん)。
松本城を築城した石川玄蕃守康長が運ばせた巨石で、康長の名にちなんで玄蕃石と呼ばれている。


太鼓門の狭間(さま)
狭間(さま)は、城の塀や櫓などに設けた小窓のような穴。敵に対してこの穴から矢を射ったり、鉄砲を撃ったりする。

内側からの狭間(さま)


黒門二の門
内堀を渡ったところにある門で、高麗門

黒門一の門
本丸御殿への門



天守閣
寛永10(1633)年、時の城主松平直政が大天守に辰巳附櫓と月見櫓を増築。現在の「連結複合式」の天守が完成



登城口下からの乾小天守と大天守

城の内部


最上階の天井中央には、松本城のご神体「二十六夜神(やしん)」が安置されている

天守からの眺め


月見櫓

月見櫓
徳川家光は寛永11(1634)年に上洛し、その帰路に善光寺参詣を兼ねて松本城を訪れることになった。
城主・松平直政は、急遽月見櫓を増築したが、家光は中山道木曽路で落石があり訪問できなかった。

月見櫓内部
月見櫓の北、東、南側の三方向は柱と引き違いの板戸である舞良戸(まいらど)という構造となっている。
月見をする時には、舞良戸をすべて外し東から昇る月を愛でたという。


月見櫓からの大天守

花頭窓
中国から鎌倉時代に伝えられた仏教建築の様式。
天守建築では格式の高い窓とされている。



松本城の雄姿
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