城下町てくてく歩き(豊橋・吉田城) .
城を訪ねて、てくてく旅

(愛知県・豊橋市)
 


吉田城鉄櫓(くろがねやぐら)
鉄櫓は昭和29(1954)年に模擬再建された。

交通の要衝地にあった吉田は、戦国時代から三河の重要拠点の一つとして機能し、江戸時代には吉田藩の政庁としての役割を果たしていました。

永正2(1505)年に長山一色城主・牧野古白が、今川氏親の命により西三河で勢力を伸ばす松平氏に備えて築城されたと言われています。当初は今橋城と呼ばれていました。
その後、大永2(1522)年に、今橋城は吉田城に改称されました。

天正18(1590)年に、豊臣秀吉の家臣池田輝政が入封し城の整備を行いました。輝政は関ケ原の戦いで東軍に味方した論功により播磨・姫路へ国替えとなり、その後は、江戸幕府の老中・大坂城代・京都所司代格など有能な譜代大名が城主に選ばれたことから出世城などと呼ばれていました。

また、明治6(1873)年、失火により多くの建物が焼失してしまいました。
そして、
現在は豊橋公園として市民に利用されています。



本丸に再建された鉄櫓(くろがねやぐら)





豊橋駅
 

公園の近くにある豊橋市公会堂

昭和6(1931)年建築の洋風建築。設計は中村與資平。静岡市庁舎や静岡銀行本店の設計を手がけた建築家。




吉田城・縄張り図



豊橋公園






二の丸跡
明治8(1875)年から陸軍歩兵十八連隊の営舎として使用されていました。






明治元年に撮影された吉田城の古写真

本丸の四隅には櫓があり、鉄櫓が昭和29年に復元された



鉄櫓
明治6年に失火により城を焼失。昭和29年に鉄櫓が再現された。


鉄櫓からの豊川



歌川広重 吉田宿
絵の右側には豊田城が、また、左側の橋は、豊川に架かっている吉田大橋で、江戸から京都までの間にある四橋の1つです。豊川から伊勢へは早船が出ており、陸路を行くよりも三日も早く到着したそうです。



豊川
敵を防ぐ堀の役割をしていた

川へ下りて船で往来できた


鉄櫓

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