吉田城鉄櫓(くろがねやぐら)
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交通の要衝地にあった吉田は、戦国時代から三河の重要拠点の一つとして機能し、江戸時代には吉田藩の政庁としての役割を果たしていました。
永正2(1505)年に長山一色城主・牧野古白が、今川氏親の命により西三河で勢力を伸ばす松平氏に備えて築城されたと言われています。当初は今橋城と呼ばれていました。
その後、大永2(1522)年に、今橋城は吉田城に改称されました。
天正18(1590)年に、豊臣秀吉の家臣池田輝政が入封し城の整備を行いました。輝政は関ケ原の戦いで東軍に味方した論功により播磨・姫路へ国替えとなり、その後は、江戸幕府の老中・大坂城代・京都所司代格など有能な譜代大名が城主に選ばれたことから出世城などと呼ばれていました。
また、明治6(1873)年、失火により多くの建物が焼失してしまいました。
そして、現在は豊橋公園として市民に利用されています。
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