城下町てくてく歩き(大和郡山城) .
城を訪ねて、てくてく旅

(奈良県・大和郡山市)
 


郡山城追手向櫓

郡山城は、筒井順慶が織田信長の後押しにより松永弾正久秀を破り、天正8(1580)年に信長から大和一国(20万石)を与えられた。そこで、順慶は居城を筒井城からこの地へ移したが、天正12(1584)年8月に死去してしまった。
その後、 大坂城を守る重要な場所だったので、秀吉の弟・秀長が100万石で郡山城へ入城。

秀吉没後の関ケ原の戦い後は、徳川譜代大名である水野勝成や松平忠明などが城主を務め、享保9(1724)年に柳沢吉里が甲府から入封後は柳沢氏が明治維新までこの地を居城としていた。

現在は本丸の石垣や天守台、堀が残っており、昭和55(1980)年に追手門、追手東隅櫓、追手向櫓が復元されている。



天守台跡







追手門

豊臣秀長が入城した際に築かれたといわれている。明治6(1873)年に建物が取り壊されたが、築城400年を記念して昭和55(1980)年に復元された。



追手門(内側)

追手門は、大和郡山に移封となった柳沢吉里の時に梅林門と改称された。




追手東隅櫓

追手東隅櫓



追手東隅櫓(城郭内側)


追手東隅櫓(濠側)

追手東隅櫓


追手向櫓





追手向櫓




追手向櫓

追手向櫓



天守台

5重6層の巨大な天守が築かれたたと伝えられているが、天守台の大きさなどからもう少し小さな天守が建っていたと推定されている。




天守台
天守台を作る際に、石不足のために墓石や地蔵などの多くの転用石が使用されていて、なかでも「逆さ地蔵」と呼ばれる、逆さになった状態で石の間に埋もれている地蔵もある。


石垣として使用されたお地蔵さん


天守台からの濠



天守台の礎石



柳澤神社
大和郡山城の本丸跡には柳澤神社がある。
初代郡山藩主・柳澤吉里の父であり、5代将軍・徳川綱吉に重宝された側用人の柳澤吉保を祀る神社で、明治13(1880)年10月29日に創建された。

    城を訪ねて三千里 TOP     (180328) .

| 画面上部へ戻る  |  |  |
inserted by FC2 system