唐澤山城は、関東七名城(*)に数えらている東国有数の山城の一つ。標高242mの唐澤山を本丸とする山城跡。
「むかで退治」や天慶の乱(天慶2年=939年)で平将門を滅ぼしたことで知られる藤原秀郷の居城跡。
築城は平安時代の延長5(927)年に藤原秀郷が下野国押領使を叙任し、関東に下向し唐沢山に城を築いたのが始まりとされる。
その後、戦国時代にこの地を治めていたのは、秀郷の流れをくむ佐野氏。
この地は、相模の北条氏、越後の上杉氏という大勢力に囲まれていた。第15代当主・佐野昌綱は、その狭間で上杉謙信に10度にわたって城を攻められたが、その度に撃退して謙信を悩ませたという。
(*)関東七名城:太田城、宇都宮城、唐沢山城、金山城、前橋城、忍城、川越城
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