城下町てくてく歩き(宇都宮城) .
城を訪ねて、てくてく旅

(栃木県・宇都宮市)
 


宇都宮城・清明(せいめい)台
(清明台は天守閣の代りだったといわれる)
宇都宮城は、関東七名城〜佐竹城、唐沢山城、金山城、前橋城、忍城、川越城〜の一つとされている城です。

平安時代後期に藤原秀郷が築城したとの伝えもありますが、実際は、宇都宮氏の祖といわれる藤原宗円が1062年に本格的な城郭を構えたのが始まりといわれています。
その後、鎌倉時代から戦国時代を経て安土桃山時代までの530年間・22代にわたり宇都宮氏がこの地を治めていました。
しかし、宇都宮氏は、小田原・北条攻めにも豊臣方に味方したにもかかわらず「太閤検地」で領内での所領の不正が発覚したため、1597(慶長2)年に改易されてしまいました。
江戸時代に入ってからは浅野長政・蒲生秀行・奥平家昌&忠昌・本多正純・松平忠弘・阿部正邦等が入り、戸田氏の時に明治維新を迎えました。

ところで、1868(慶応4)年、新政府軍についた宇都宮藩と土方歳三らが率いる旧幕府勢力による戊辰戦争の「宇都宮城の戦い」で周辺の街並みと城の建造物のほとんどは焼失してしまいました。
2007(平成19)年に、本丸の一部の土塁と清明台、富士見櫓の二つの櫓が木造で復元されています。


清明(せいめい)台


清明(せいめい)台と右奥に富士見櫓
平成19年3月、本丸の西側に清明台と富士見櫓、それを南北に繋ぐ土塁と土塀が復元された。



清明(せいめい)台


富士見櫓

富士見櫓の高さは10m

富士見櫓内部

本丸跡


清明(せいめい)台

富士見櫓


宇都宮城・つり天井事件
徳川家康の側近・本多正純が城主となった1619年(元和5年)に、歌舞伎の通し狂言「三千両初春駒曳(さんぜんりょうはるのこまひき)」の題材にもなっている「宇都宮城釣天井事件」がおきました。

正純は、北の守り口として宇都宮城を本丸を中心に、いくつもの堀がその周囲を取り囲む連郭梯郭複合式の縄張りに改修したのですが、「将軍家(秀忠)の許可をとった取らなかった」という話が大きくなって正純への疑念が生じます。
そんな中に釣り天井事件が起きました。
釣り天井事件とは、徳川秀忠が日光東照宮参拝のため宇都宮城に立ち寄った際に、秀忠を暗殺するために、場内に釣り天井の仕掛けがあるというウワサが広まりました。
実際は、本田正純に対抗する勢力の陰謀にはまったといわれていますが、1622年(元和8年)に正純は改易となってしまいました。

いつの世にもあるお話ですね。


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