城下町てくてく歩き(騎西城) .
城を訪ねて、てくてく旅

(埼玉県・加須市)
 


騎西(きさい)城模擬天守
 実際の騎西城(私市城)は、土塁や塀を廻らした平屋の館であったが、旧騎西町が町制施行20周年を記念し、昭和50(1975)年に天守閣を持つ城として復元した。

城址にある案内板によると、騎西(私市=きさい)城の名が初めて歴史に登場するのは、室町時代の康正元年(1455)古河公方・足利成氏が騎西城を攻略したというのが最初のことのようだ。
戦国時代は越後・武蔵の抗争に巻き込まれ、城主小田助三郎は親戚筋の成田氏と同様、北条氏方についたが永禄6年(1563)に上杉謙信に攻め落とされた。
徳川家康が江戸へ入府した天正18年に松平康重が二万石を拝領し、その後、大久保忠常忠職父子が城主となったが、忠職の美濃への移封により寛永9年(1632)に廃城となった。

      
 [下記、加須市「騎西城」案内参照]




案内板


江戸時代の城郭
加須市のある県中央部は、関東平野を流れる旧利根川、荒川などの支流がいくつもあり沼地が多かった。したがって、必然的に城郭は水城のような構造になっていた。


模擬天守
発掘された出土品を展示する郷土資料展示室となっている
玉敷神社・公園
玉敷神社・公園は騎西城からすぐのところにある。
藤やあじさいで有名な公園である。


玉敷神社

旧河野邸門
国学者で國學院大学総長を務めた河野省三氏は明治15年に騎西町で生まれた
 
 

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