時鐘(じしょう)
時鐘は、享保2年(1717)伊勢桑名藩主松平忠雅によって鋳造され、文政6年(1823)に松平氏が桑名から忍へ移封されるのにともなって、忍城へ移されたもの。
当時は城の二ノ丸にあって、時の鐘として時刻を知らせていた。
現在城址にある鐘楼は、平成4年(1992)に再造されたもので、本物は郷土博物館に展示されている。 |
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天正18年(1590)年3月、豊臣秀吉は関東平定のため、北条氏の拠点である小田原へ出陣しました。
北条氏に味方する成田氏の居城である忍城は、同年6月、石田三成、大谷吉隆、長束正家らによって包囲されてしまいます。
石田三成らは、利根川と荒川に挟まれた地形を見て忍城を水攻めすることにし、全長28kmに及ぶ堤をわずか一週間で作り上げたと言われています。
実際は自然堤防上に1〜2m程盛土をしたもので、「石田堤」と呼ばれています。
こうして堤が完成し、利根川や荒川の水を引き入れたのですが、地形的に、忍城や城下町よりも下忍・堤根方面に水が溜まってしまい、遂には堤が決壊
し、水攻めは失敗に終わります。
忍城の戦いは小田原城が7月6日に開城した後も続きましたが、最終的には開城して7月14日に豊臣軍に引き渡されました。
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