高島城
昭和45年に外観復元された三層の天守閣
天守閣の高さ20.4m、天守台12.54m |
高島城は、大きな諏訪湖と一体となり浮かぶように建っていたため別名「浮城」とも呼ばれている。
諏訪の領主・諏訪頼忠は、天正10年に武田氏が滅亡後,千野氏ら旧臣に擁立されて諏訪氏の旧領を回復した。
その後、天正18(1590)年に徳川家康の関東転封に従って諏訪氏は同じように武蔵国へ移り、諏訪氏に代わって豊臣秀吉の家臣・日根野織部正高吉が2万7千石を与えられ諏訪に転封された。
日根野高吉は、文禄元(1592)年から慶長3(1598)年にかけて高島城を築城した。
慶長3年9月、秀吉没後、関ヶ原(慶長5年9月)の戦いで徳川側に組した諏訪頼水(頼忠の子)は、慶長6(1601)年に恩賞によって旧領回復となり諏訪藩主となった。
以後、10代藩主忠礼までの約270年間、諏訪氏の居城であった。
明治維新の廃藩置県により廃城となり明治8(1875)年に天守閣が撤去されてしまった。
その後、本丸跡は高島公園として開放されたが、昭和45(1970)年5月、ついに天守閣が外観復元され、同時に、冠木(かぶき)門・隅櫓なども復元された。
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