小倉城天守閣
小倉城は、天保8(1837)年の火災に よって天守、本丸御殿など主要な建物が全焼してしまった。
2年後に再建されたが、天守閣は再建されなかった。
昭和34年(1959年)鉄筋コンクリート構造で外観復興された。
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昨晩(2014.8.24)のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で小倉城が出てきましたね。
小倉は関門海峡に面した交通の要所として古くから砦や城が多く設けられた場所であった。
豊後(現大分県)の戦国大名であった大友宗麟は、肥前(佐賀県と長崎県の一部)の龍造寺氏や薩摩(現鹿児島県)の島津氏の侵攻もあり、秀吉に加勢を求めた。
秀吉の意を受けた黒田官兵衛の働きによって天正15(1587)年、島津を駆逐し九州を平定した。
そして秀吉は、家臣であった森勝信(のちの毛利勝信)へ豊前小倉6万石を与えた。
慶長3(1598)年8月18日に秀吉が亡くなり、その2年後の慶長5(1600)年に関ヶ原の戦いが起こった。
黒田官兵衛は秀吉亡き後、石田三成と敵対し、その三成に組した小倉城主毛利勝信を攻め落とした。
その後の評定にて、細川忠興が豊前一国と豊後杵築領39万9千石を領することになり、豊前中津城に入城した。
しかし、細川忠興は中津城では領国経営に不安を覚え、当初から交通の要衝の地であった小倉に新たな城を築城することになった。
そして、慶長7(1602)年から7年の歳月を費やして小倉城を完成させた。
小倉城は、耐震補強工事のため平成26年4月1日(火)から平成26年12月13日(土)まで休館だったので入館できませんでした。
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