城下町てくてく歩き(石垣一夜城)  .

城を訪ねて、てくてく旅

(神奈川県・小田原市)
 






石垣山一夜城址・南曲輪石垣


天正18(1590)年、豊臣秀吉は、天下統一のため関東を支配する北条氏を攻略するために水陸15万の大群を率いて小田原へ進出した。
その際に、小田原城から約3kmにある笠懸山(標高257m)の山頂に、約80日間の日数と のべ4~5万人の人員を動員して、総石垣の近世城郭を完成させた。
その築城に際し、密かに山頂の林の中に塀や櫓を作り、完成時に一気に周囲の樹木を伐採して城が突然出現した様に見せたて、北条方を震撼させたという「一夜城伝説」が現在も残っている。
この時、北条方は和戦かどうかの評定が容易に決定しなかったところから、長引いて容易に結論の出ない会議を小田原評定という言葉になった。




小田原城からの石垣一夜城

小田原城から約3km先に笠懸山(石垣山)がある





石垣山一夜城は、東海道線小田原駅から次の駅早川駅の西方2.5kmに位置しています。歩く距離は約3.6km。
私は、早川駅から坂道をトボトボ1時間30分近く登って、石垣山城跡へ登城しました。
途中で道を訪ねたおじさん(私もお爺さんですが)は、「まだまだ登ります。まぁなんてモノ好きな」という顔をして私を見送ってくれました。
現地には駐車場があって、年配の人が車で来ていました。山歩きが好きな私ですが、こんな手もあったかとガックリ!してしまいました。


早川駅から坂道を登って歩く
関白農道といわれる坂道を大分登って来た。眼下は小田原市内。







このほか千利休、羽柴秀次、徳川家康、伊達政宗、宇喜多秀家、堀秀政の説明版があった



 
歴史公園に到着


東登口

本丸へ向かう




本城曲輪石垣
小田原城方向の石垣の高さは20mを超えていた。このため、これを見た北条氏はビックリこいたという。



本丸跡
 
 本丸跡は石垣山(笠懸山)の頂上(約257m)にあり、幅50間x38間(約90mx69m)の広さがあったという。



天守台跡
本丸奥にある天守台跡



二の丸(馬屋曲輪)
馬屋曲輪にあるドウダンツツジ(写真左)は豊臣秀吉の馬印である瓢箪が色違いで植えられている。



展望台

石垣山一夜城(物見台)からの小田原城
 

望遠でみると

小田原城(中央)


本丸跡から二の丸跡に行く途中の坂道にあった本城曲輪下の石垣 

二の丸跡(馬屋曲輪)

二の丸櫓台跡




井戸曲輪
構造も独特な高石垣による城壁で構成されている。


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 (10.01.19)

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