岸和田古城は、楠木正成の甥である南北朝時代の武将・和田高家(にぎた たかいえ)が建武元(1334)年ごろに築いたといわれる。
時は移り、天正13(1585)年、豊臣秀吉は叔父である小出秀政を紀州征伐の拠点である岸和田城主にした。
秀政は城郭整備にかかり、慶長2(1597)年に現在地に5重の天守閣を築いた。(この天守閣は文政10(1827)年に落雷で焼失してしまった)
その後、元和5(1619)年に松平康重が入封し城下町の整備を行なった。
寛永17(1640)年、摂津高槻から岡部宣勝が入封し、再び大改修が行われ、伏見城の櫓と城門が移築された。このとき、総曲輪を持つ城となる。
明治維新により廃城となるまで岡部氏が13代にわたって岸和田藩5万3千石を治めていた。
岸和田は、かつては「岸」と呼ばれていたが、建武年間(1334〜36)に楠木正成の甥和田高家が この地に封じられ、「岸の和田」から岸和田の地名が生まれたといわれているが・・・。 |