城下町てくてく歩き(越前大野城) .
城を訪ねて、てくてく旅

(福井県・越前大野市)
 


越前大野城
天正3年(1575年)、織田信長は越前一向一揆が支配していた大野郡を金森長近と 原政茂の両氏に平定させた。その恩賞として越前国大野郡の2/3を金森氏に、残りを原氏に与えたと いわれています。
金森氏はその翌1574年に居城としていた戌山城の近くの亀山(標高249m)に4年がかりで大野城を築城しました。
城は野面積みと呼ばれる石垣の上に、二層三階の大天守と二層二階の小天守・天狗櫓を建造。城の回りは外堀・内堀をめぐらせて、現在もその一部が残っています。
金森氏は天正14年(1586)に飛騨高山に転封となり、その後は、江戸時代初期に松平氏、天和2年(1682)から土井利房が入封し、明治に至るまで土井氏が越前大野の城主を務めました。

ところで、城は1775(安永4)年に焼失してしまい、その後再建されたものの、明治維新後に破却されました。

現在の城は、昭和43年に再建されたもので、城内は資料館となっており、歴代城主の遺品が展示されています。。


大野城大天守と小天守・天狗櫓
石垣は築城当時のままですが、天守は昭和43年に再建されたもの。


亀山(標高249m)に建つ越前大野城


急坂を登って標高249mの城へ
城までは約20分かかる。



大天守と小天守・天狗櫓
大野城の石垣は自然石を加工しないで積み上げた「野面積み」といわれるもの。野面積みは水はけが良くとても丈夫な石垣となっている。

大天守からの大野の城下町。
「越前の小京都」と呼ばれれている


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