城下町てくてく歩き(富山城) .
城を訪ねて、てくてく旅

(富山県・富山市)
 


富山城
実際の富山城には天守がなかったが、1954(昭和29)年に犬山城を模して模擬天守として建造された。

富山城・千歳御門
富山城は、この地の豪族の一人であった水野勝重(後に神保長職と改称)が、天文12年(1543年)頃築城したといわれている。
永禄3年(1560年)に、上杉謙信の進出により神保長職は富山を追われ、この城も上杉家の支城となった。その後謙信は、天正4年(1576)頃には越中全域を支配下に治めることになった。
 天正6年(1578)の上杉謙信没後は、織田信長の進出により信長の勢力下となり、織田方についていた神保長住が富山城に入った。
天正8年(1580年)、佐々成政が越中守護職を任じて入城、大改築を行なったが、本能寺の変で織田信長が亡くなったことにより秀吉と対立し敗れ、同13年に加賀の前田利家の領有となった。

秀吉との対立で佐々成政は徳川家康へ援軍を依頼するため浜松へ自ら立山越え(さらさら越え)を行ったという話はあまりも有名である。

寛永17年(1640年)、前田利次が富山に十万石を分封されて以降は前田家の居城となり、富山前田家は明治までの13代にわたりこの地を支配した。
明治6年の廃城置県により富山城は廃城となり、城は破壊されてしまった。現在は富山城址公園として整備されている。



富山城・千歳御門
総ケヤキ造りの薬医門は、東大の赤門と同様の造りとなっている。


富山城は郷土博物館になっている

枡形石垣付近(天守から)
平成26年完成の予定で公園の再整備工事が行われている

模擬天守1954年に完成)




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