慶長15年(1610)、堀氏に代って、徳川家康の六男・松平忠輝は越後高田藩60万石の主として福島城(上越市)に入城した。
その後1614年(慶長19)、忠輝は福島城を廃して、高田城を築城することになった。
このとき幕府の命による工事として、忠輝の舅である伊達政宗が築城の指揮をとり、上杉景勝、前田利常などが参加し4か月という短い期間で完成した。
城は関川、青田川などを外堀として石垣ではなく土塁で周囲を固め、また、天守閣の代わりに三重櫓が建設された。
忠輝改易後は城主が幾度か代り、榊原氏の時代に明治維新を迎えた。
また、明治3年(1870年)に火災のため三重の櫓を焼失したが、平成5年(1993年)に上越市発足20周年記念事業として、三重櫓が復元された。
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