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城を訪ねて、てくてく旅
津城三重櫓
(外観模擬櫓) |
津城は天正8(1580)年に織田信長の弟信包(のぶかつ)が築城。
その後、関ヶ原の戦いの功績により藤堂高虎が四国・伊予今治から22万石で伊勢伊賀へ入府。
築城の名手であった高虎は、 慶長16(1611)年に本丸を拡張し石垣を高くした上で三方に戌亥櫓、丑寅櫓と月見櫓の隅櫓を配置した。
北は安濃川、南は岩田川に挟まれ、これらを天然の大外堀として城を固め、さらに外堀、内堀を整備したが、外様であった高虎は、家康に遠慮をしてか天守閣を再建しなかった。
城の周囲に武家屋敷を配置し、岩田川の南側には寺院や町家を集め、伊予から連れてきた町人たちを住まわせて城下町として整備した。
文化3(1806)年、藩政の不安定化により財政が窮乏化し、さらに綱紀が緩んで不正が相次でいた時に、伊勢久居藩の第12代藩主であった藤堂高兌(たかさわ)が第10代藩主として津藩へ就任した。
高兌は藩政改革を行い藤堂家中興の祖と称されるまでになった。その結果、明治維新まで藤堂家は32万石の大名として12代に亘り栄えた。
現在では、本丸・西の丸・内堀の一部が残っているが、昭和33(1958)年に三重櫓が復元された。
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多聞櫓があった場所に建てられている三重櫓
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西の丸脇の内堀
文政3年(1820)、第10代藩主藤堂高兌は藩士や
その子弟を教育するための藩校として有造館を創設した。
入徳門(西之丸跡)
藤堂高虎像
本丸跡に建てられている
東鉄門跡横に建てられた三層復興櫓(昭和33年)
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藤堂高虎が祀られている高山神社 |
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