徳川家康は元亀元年(1570)、岡崎から遠江国の曳馬に移ると、ここを浜松と改名し、浜松城を築いてこれを本城とした。
家康は29歳〜45歳までの17年間を浜松城で過ごした。この間、有名な姉川、長篠、小牧・長久手の戦いがあって、特に元亀3年(1572)の三方ヶ原の戦は、家康の歴史的大惨敗であり唯一の敗け戦として有名。
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【三方ヶ原の戦】
武田信玄は25,000の軍勢を率いて都を目指す。
その際、徳川の本拠地である三河に侵入し二俣城、長篠城などを落として進軍。
ところが、(先を急ぐ信玄は兵力温存もあって)家康の浜松城を無視して、進路を北に取り東三河に兵を進めます。
家康は、「浜松城は信玄によって蹂躙されたも同然、これに一矢も酬わずしていられようか」と、織田の援軍加えた一万余の兵で三方ヶ原へ出て行ってしまいます。
相手は無敵を誇る武田騎馬軍団。
家康の采配空しく徳川軍は総崩れとなり、本陣は武田軍の猛将山県昌景に破られてしまい、城へ逃げる際には恐怖の余りに馬上で失禁・脱糞してしまったといわれています・・・。
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元号(家康年齢) |
戦いの名称 |
元亀元年(1570年-29歳) |
姉川の合戦 |
元亀三年(1572年-31歳) |
三方ヶ原の合戦 |
天正三年(1575年-34歳) |
長篠の戦い
(設楽原の合戦) |
天正九年(1581年-40歳) |
高天神城の攻略 |
天正十二年
(1584年-43歳) |
小牧・長久手の戦い |
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浜松城といえば「出世城」
家康が駿府城へ移った後の浜松城は、徳川家とゆかりの濃い譜代大名が城主となり、歴代城主の中には幕府の要職に登用された者も多いことから、のちに「出世城」と呼ばれるようになった。
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若き日の徳川家康公銅像 |
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