城下町てくてく歩き(沖縄県・首里城)     .


(沖縄県那覇市)
  


首里城(1999年・・・今から10年前に行ったときのものです)
その昔・・・・
今から約40年前に沖縄がまだアメリカの占領地だったころに学校の仲間5人と卒業旅行で訪問しました。(1972年5月に返還)
東京から沖縄まで2泊3日?の船旅でした。
その船中で、1968年2月20日に寸又峡温泉の旅館に宿泊中の13名を人質として篭城した金嬉老事件が発生しテレビがナマ中継していた事を思い出します。

沖縄の首里城は、米国占領下にあって何も整備されておらず、守礼の門だけがポツンと建っていたというような記憶があります。

1992年に首里城が復元再現されて、沖縄はすごいところに変わっていました。

1968年当時の守礼の門



沖縄の首里城公園

首里城は琉球王朝の王城で、1429年から1879年まで、歴代国王の居城でした。
標高130mの首里台地南端の丘陵にあり、東西400m・南北270m・面積は46,167u。

2000年12月に首里城公園内の首里城跡は「琉球王国のグスク(城)及び関連遺産群」として世界遺産に登録されました。
当然ながら復元された首里城正殿や守礼門は、世界遺産の登録にはなっておりません。



守礼の門

掲げられた「守禮之邦」は「琉球は礼節を重んずる国である」という意味。
中国風の牌楼(パイロウ)という形式で建てられた沖縄を象徴する門。





@ 歓会門(かんかいもん)
首里城の城郭内に入る正門。
この門は尚真王時代(1477〜1526年)に創建されたものといわれ、太平洋戦争で破壊されたが、昭和49年(1974年)に復元された。
A 瑞泉門

首里城第二の門
門の手前の右手に国王や冊封使の飲み水となる清水を注ぐ石彫りの龍樋[りゅうひ]があり、この琉球一と謳われた清水が門の名前の由来となっている


首里城map
B 漏刻門

首里城第三の門。
楼内の水時計で時間を計り、太鼓で時間を報じていたことから名前がついたといわれている。駕籠での登城を許されていた高官も、この門からは下りて歩いたと伝えられている
C 広福門

首里城第四の門。
「広福」というのは福を行き渡らせるという意味であるという。
現在は首里城正殿の入場券売り場となっている。
王朝時代は門の両側が役所になっていて、東側が士族の財産争いを調停する大与座、西側は社寺仏閣関係を扱う寺社座だったという
平成4年(1992年)に復元


D 奉神門
首里城の正殿に入る門
三つの入口の内、中央は国王や賓客など身分の高い人の通路。
一般の役人は左右の門から出入りしていたといわれている。



E 正 殿

↑    
これは10年前の私です
現存の「正殿」は1712年頃の「正殿」をモデルとし、平成4年(1992年)に復元されたもの。
琉球王国最大の木造建築物で三階建てとなっている。

眼下の門は歓会門(中央)と久慶門(右下) F 久慶門


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1999.9
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