熊本城天守閣と小天守
連結式望楼型の大天守は、「一の天守」とも呼ばれ3重6層地下1階。小天守は3重層階地下1階の造りで「二の天守」とも呼ばれている |
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熊本城は(姫路城が修復中のため)一度は行きたいお城のNo.1に選ばれています。
以前訪れた時にはなかった本丸御殿が完成していて、復元された城の中ではかなりの満足度が高いお城になっています。
天正15(1587)年、九州平定をした豊臣秀吉は、九州討伐で功を上げた佐々成政に肥後を与えた。しかし、入城した成政は、検地の強行などによりそれに反発する国人に一斉蜂起され、これを自力で鎮めることができなかった。その結果、秀吉の逆鱗にふれてしまい成政は切腹。
翌年、肥後は北半分を加藤清正に、南半分を小西行長に分け与えられることになった。
このとき清正が居城としたのが隈本城で、清正がこの地の茶臼山に新たに築城したのは慶長6(1601)年から慶長12(1607)年にかけてのことであった。
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