城下町てくてく歩き(名護屋城) .
城を訪ねて、てくてく旅

(佐賀県・唐津市)
 


名護屋城本丸と天守
(C)佐賀県立名護屋城博物館(復元模型

肥前名護屋城は、豊臣秀吉による文禄・慶長の役(1592年〜1598年)の出兵基地として1591年に約5ヶ月という短期間で完成した城である。
城は、玄界灘を望む東松浦半島の最端部に築城され、その広さは17万uの巨大な城で、当時は大坂城に次ぐ大きな城であった。

名護屋城を中心に半径3kmの範囲に、徳川家康をはじめ約160の大名が集結し陣屋を構えた。
その結果、この地は武士や商人で溢れ約20万の城下町ができたという。

現在は石垣のみが残る城跡が当時の面影を伝えている。

文禄・慶長の役で、朝鮮半島に渡った戦国大名により多くの朝鮮の人々が日本に連れて来られたという。佐賀を代表する唐津焼、有田焼は優れた技術を持つこれらの陶工により作られた。



名護屋城天守台跡
遊撃丸からの天守台




名護屋城は波戸岬の丘陵(標高約90m)を中心に17万uにわたり築かれた。
慶長3(1598)年8月18日、秀吉の死後、大陸進攻が中止されたために城は廃城となり、建物は寺沢広高の唐津城へ移築されたという。



城下町(復元模型) (C)名護屋城博物館


大手口跡

大手口跡(櫓台)


大手口を登ると三の丸がある

本丸への階段


本丸・天守閣跡

天守閣跡


〜秀吉が見ていた風景〜
天守台からは朝鮮へ出兵した名護屋の港が見える
名護屋城は、玄界灘を望む東松浦半島の最端部にある


呼子大橋


天守閣からの遊撃丸跡

天守閣からの二の丸跡


馬場
三の丸から二の丸へ(石垣が崩れている)

二の丸跡

遊撃丸跡

遊撃丸跡からの天守台跡



県立名護屋城博物館
「日本列島と朝鮮半島との交流史」を主テーマに展示している。入館無料。

肥前名護屋城図屏風

亀甲船
文禄・慶長の役で、朝鮮半島に渡った船
 .                                                   (140730) .

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