肥前名護屋城は、豊臣秀吉による文禄・慶長の役(1592年〜1598年)の出兵基地として1591年に約5ヶ月という短期間で完成した城である。
城は、玄界灘を望む東松浦半島の最端部に築城され、その広さは17万uの巨大な城で、当時は大坂城に次ぐ大きな城であった。
名護屋城を中心に半径3kmの範囲に、徳川家康をはじめ約160の大名が集結し陣屋を構えた。
その結果、この地は武士や商人で溢れ約20万の城下町ができたという。
現在は石垣のみが残る城跡が当時の面影を伝えている。
文禄・慶長の役で、朝鮮半島に渡った戦国大名により多くの朝鮮の人々が日本に連れて来られたという。佐賀を代表する唐津焼、有田焼は優れた技術を持つこれらの陶工により作られた。
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