城下町てくてく歩き(今治城) .
城を訪ねて、てくてく旅

(愛媛県・今治市)
 


今治城リーフレットから  (C)今治市文化振興課


日本中の城の中でも大変姿かたちが美しい城です。

今治城天守閣(右)と山里櫓
天守閣は、市制施行60周年記念事業として昭和55年に再建。また、山里櫓は市制施行70周年記念事業として平成2年に再建
 


戦国時代の今張地方の支配拠点は、唐子山山頂にあった国府城で、能島水軍の村上武吉が居城としていた。
村上武吉は、天正13年(1585)秀吉による四国征伐で侵攻した小早川隆景に戦う事なく開城。
慶長5年(1600)関ヶ原の合戦に徳川家康の先方 として戦功をたてた藤堂高虎が、伊予半国(20万3千石)を与えられ、その時に、山城の国府城を捨て、内海において軍事的に海陸の要衝で経済発展にも便利な今張を拠点に定めた。
当代一の築城の名手の高虎は、慶長7年から9年にかけて五層の天守閣と櫓城門等二十数棟を配し、城域8町16間四方の、城を完成した。三重の城濠には海水を導入して当時としては他に類例のない一大平城を構築した。
1608年、高虎は伊賀20万石に移封され、今治には養子の藤堂高吉が2万石を拝領して城代となった。2年前に完成した5層の天守閣は解体され、丹波亀山城に移築されたというが・・・。
その後、藤堂高吉は、1632年に伊勢(その後名張)に移り、その後、徳川家康の異父弟松平(久松家)定勝の5男・定房(1604〜1676)が今治3万石の城主となり、そのまま松平家の居城として明治維新を迎えた。



鉄御門(くろがねごもん)
鉄御門再建は平成15年、今治築城・開町400年祭の記念事業として計画され、平成19年9月に完成

鉄御門と多門櫓・武具櫓(右端:昭和55年再建)

鉄御門は枡形となって侵入を困難にした。
右は多聞櫓(平成19年再建)


二の丸跡にある藤堂高虎公像 

本丸跡にある乗禅寺



天守閣
1608年高虎が伊賀20万石に転封された際、居城となる上野城の天守とするために解体した資材を、家康のために丹波亀山城に移築したという説がある。そこで、昭和55年の再建にあたって明治時代の亀山城の写真をもとに今治城を再現したという。



天守閣からの山里櫓

天守閣内部



天守閣からの来島海峡
拡大すると


来島海峡に架かる来島海峡大橋
今回は福山から今治まで「しまなみ海道」を渡って四国へ入りました。
来島海峡大橋からの眺めはサイコーだったですね。次回はここを自転車で渡る予定だが・・・。何時になることやら。



二の丸北西側を守る山里櫓と山里門(左)と天守閣

武具櫓(中欧:昭和55年再建)
 
二の丸東隅に建つ御金(おかね)櫓
(昭和60年に再建)



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