城下町てくてく歩き(萩城) .
城を訪ねて、てくてく旅

(山口県・萩市)
 
   萩・維新の街歩き1 ◆ 松下村塾 準備中 . 




萩城天守閣
明治6(1873)年の廃城令により破却された

JR山陰本線・東萩駅/萩循環まぁーるバス(西回りコース)「萩城跡・指月公園入口」バス停より徒歩3分。

関ヶ原の戦いで西軍の総大将であった毛利輝元は、その戦いで敗れ、本来であれば改易されるところだった。しかし、(関ヶ原で毛利軍の動きを封じ込めた従弟の)吉川広家の働きもあり、家督を幼い秀就(ひでなり)に譲ることと、安芸8か国112万石から周防・長門の2か国36万9千石に減封することで辛くも毛利本家は残ることになった。
その際、幕府により本拠地を広島から(山口への転地希望がかなわず)三方を山に囲まれた(
僻遠地の)萩へと移されることになった。
萩に移った輝元は、日本海に面した指月山(標高143m)とその麓に慶長9(1604)年から築城を開始し、慶長13(1608)年に萩城を完成させた。
その後、250年余りの間、長州藩(萩藩)の拠点であったが、幕末の文久3(1863)年、(第13代藩主毛利敬親のとき)幕府に無断で萩城から藩庁を念願であった山口に移し、そして、あの明治維新を迎えることになった。



萩城址マップ


指月山(標高143m)


萩城は日本海とつながっていて、濠の水は海水である

萩城は、指月山の麓にある平城(本丸、二の丸、三の丸)と山頂の山城(詰丸)で構成されている城。本丸は東西約200m・南北約145mの敷地がある。



極楽橋(御本丸橋)を渡って本丸へ


櫓跡からの極楽橋



天守台跡


天守台



天守閣
別名・指月城(しづきじょう)
5層5階の複合式望楼型天守閣。高さは石垣を含めて約21m。外壁は白漆喰の総塗籠で、窓には銅板が貼られた突き上げ戸を備えて防火対策も施していた。
明治6(1873)の廃城令により萩城は破却された。



天守台から北西方向の堀


天守台から



本丸跡
本丸には、天守閣、隅櫓、本丸御殿があった。また、二の丸には櫓12棟が立ち並んでいたがすべて破却された。



花江茶亭
藩主の別邸にあった茶室を城内へ移築したもの。


梨羽家茶室


二の丸南門跡
二の丸から本丸に通じる通路で鍵型になっている。

毛利輝元像



旧厚狭(あさ)毛利家・萩屋敷長屋(国指定重要文化財

厚狭毛利家は毛利元就の五男・元秋の跡を継いだ八男・元康を始祖とする毛利家一門で、厚狭に約8千石の知行地を持っていた。


中座敷一之間

仲間(ちゅうげん)部屋



天樹院墓所(国指定史跡)
藩祖・輝元と夫人を祀っている

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