城下町てくてく歩き(岩国城) .
城を訪ねて、てくてく旅

(山口県・岩国市)
 


錦帯橋と岩国城天守閣
天守閣は昭和37年に復元された

関ヶ原の戦いで、西軍総大将を務めた毛利家(輝元)だったが、敗戦のため家康に改易させられそうになった。
しかし、家康に協力した毛利一族の吉川広家の働きにより毛利宗家は改易を許され大減封の末に存続を許された。
これにより、吉川広家は出雲・富田・12万石から周防岩国3万石へ転封となった。

周防岩国藩初代藩主となった吉川広家は、慶長13(1608)年に、蛇行した錦川に囲まれた天然の要害である標高200mの横山(城山)山頂に岩国城を築城した。

しかし、その7年後(元和元年)に幕府の一国一城令により、城は取り壊しとなっている。

現在の天守閣は、昭和37(1962)年に四層六階の桃山風南蛮造で外観復元されたもの。
また、復元の際、錦帯橋からの景観を考え旧本丸の約50m南側に天守を移動した。



岩国城天守閣


錦帯橋と岩国城
岩国城は、錦川を天然の外堀として標高約200mの城山山頂に築城された

錦帯橋

錦帯橋からの岩国城

吉川広家像(吉香公園

香川家長屋門

武家屋敷(旧目加田家住宅)

18世紀中頃の中級武家屋敷(国・重要文化財)

天正年間に吉川元春に召し抱えられた目加田家は、当時の藩主広家の岩国移封に伴い、この地に居を構えた。



ロープウェイにて城山へ登る



岩国城


岩国城


岩国城旧天守台跡

天守台の石垣

古式穴太積 (こしきあのうづみ) 石垣が発掘復元された



岩国城からの錦帯橋
眼下に吉香公園、城下町、錦帯橋が、また、遠くに瀬戸内海の島々や四国までが一望できる。


錦帯橋

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