城下町てくてく歩き(郡山城②) .
城を訪ねて、てくてく旅

その2
(広島県・安芸高田市)
 



郡山城(古地図)






元就墓所からさらに山道を登る

本丸への標識を見つけてホッとする


御蔵屋敷跡(右手を行けば三の丸に通じている)


本丸跡


一段高くなったところが本丸跡

【解説文】
郡山の山頂に位置し、一辺が約35mの曲輪で、北端に一段高くなった櫓台(長さ23m幅10m)があり、標高は389.7mで、比高は約200mです。城の遺構は山頂の曲輪を中心に放射状にのびる6本の尾根、さらにそれからのびる6本の支尾根の計12本の尾根とそれらに挟まれた谷を曲輪や道で有機的に結合させて、まとまりのある複雑な構造になっています。
大永3年(1523)に元就が宗家の郡山城を相続して以来、郡山の南東にあった城(本城)を郡山全山に拡大しました。元就はここを本拠城として、幾多の合戦を経て中国地方の統一を成し遂げました。


本丸跡
かつては三層の天守があったといわれている



二の丸跡


二の丸は東西38m、南北20mあり区画されていた




三の丸跡


三の丸石垣(三の丸南東と御蔵屋敷に続く帯郭の間にある)

三の丸跡(城内で最大の曲輪で、さらに四段に分かれている)
城内最大の曲輪(1400㎡)で、ここは土塁や削出し等で四段に分かれています。西と南の段は石塁でへだて、北の段とも1mの比高差をとり、石垣で区画されています。


展望台

山腹に掲げられた毛利家家紋「一文字三星」

山麓から見た郡山


郡山公園


毛利氏時代は興禅寺があった場所で興禅寺村が置かれ、寺領を与え保護されていた。その跡地に公園は大正4(1915)年に造られた。また、広島新田藩・浅野長厚三万石の居館に付設された「文久亭」を拡大修復したのが現在の郡山公園。



清(すが)神社
祭神は、素盞鳴尊(すさのうのみこと)。
手前は数百年を経た老杉。本殿は、入母屋造、平入、千鳥破風、軒唐破風付の見事なもの。現在の社殿は元禄7年に建てられたもの。



安芸高田市民俗歴史博物館

戦国武将毛利氏の郡山城跡を中心に市の歴史と文化財を紹介する博物館


安芸高田市

  安芸高田市は、広島県北部の中央に位置しています。その安芸高田市は、三本の矢で知られる戦国武将毛利元就の生誕の地です。

広島からJR可部線で約40分で可部駅へ。そこからバスで46分で安芸高田市役所へ到着します。市役所前で下車すると、正面にある山(郡山)の山腹に、毛利氏の家紋「一文字三星」が輝?いており、ようやくこの地にやってきたなぁという感慨と共に武者震いがいたしました。



可部線可部駅
可部から安芸高田へはバスで約45分
広島電鉄バス吉田線・安芸高田市役所下車(790円)


可部駅前の山には土砂災害の爪痕が残っていた
2018年7月13日 - 西日本の広範囲を襲った豪雨の死者は200人を大きく超えた。広島県では降り続いた大雨による土砂崩れや土石流が住宅街に流れ込み被害が拡大した、平成に入って最悪の豪雨災害となった。

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