城下町てくてく歩き(岡山城)
城を訪ねて、てくてく旅


(岡山県・岡山市)
 


岡山城
黒い下見板張りの外観と金の鯱を挙げていたため「金烏城」の名もある岡山城



岡山城天守閣は昭和20年の空襲で消失し
昭和41年に復元された。


岡山城は、豊臣秀吉五大老の一人・宇喜多秀家が慶長2年(1597)に築城した。その天守閣は、石垣からの高さが20.45m、3層6階の構造をしている。
また、中心部を流れる旭川を堀にするため、その流れを変えて本丸の北面〜東面を巡らせている。

宇喜多秀家は慶長5年、関ヶ原の戦いで敗れて改易され、小早川秀秋が入城。しかし。在城2年で秀秋が死去して小早川家は断絶してしまった。
慶長8年(1605)、池田忠継が入城。 この後、池田氏が、代々31万5千石を領して明治に至った。

金の鯱



月見櫓は江戸時代初期(1615年・元和元年ごろ)に表書院(中の段)の西北隅を守る隅櫓として建てられた


月見櫓
第4代城主・池田忠雄の時のもので創建時の姿を伝えている数少ない櫓。国指定の重要文化財。最上階に廻縁をつけた楼閣風で「月見櫓」と呼ばれている。



不明門
明治時代に40近くあった櫓、城門は、石山門を除いて廃却された。その石山門も空襲で焼失。不明門は昭和41年復元された。

不明門



西の丸西手櫓
月見櫓同様現存櫓で、重要文化財。


岡山・後楽園

岡山後楽園は貞亨3年(1686)備前藩主池田綱政が家臣の津田永忠に命じ、14年の歳月を費やし元禄13年(1700)に完成したもの



格子の向こうは後楽園の名勝・唯心山(ゆいしんざん)。遠くに岡山城が見える


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