城下町てくてく歩き(月山富田城) .
城を訪ねて、てくてく旅

(島根県・安来市)
 
      足立美術館 




月山富田城址
飯梨川を天然の濠に見立て標高184mの月山の頂に築かれた城
月山富田(がっさんとだ)城は、飯梨川の傍にある月山(標高184m)の地形を利用した複郭式の山城である。

尼子氏が中国地方の覇権を巡って周辺諸国と争っていたが、尼子経久(1458 ~ 1541)の代に安芸、備後、備中、備前、美作、播磨、因幡、伯耆、出雲、石見、隠岐の11か国を支配していた。その尼子氏の居城が月山富田城である。
この城は、麓に流れる飯梨川を外堀に見立て、幾重にも連なる山の断崖絶壁に砦が築かれた難攻不落の城であった。
そのため、170年間の尼子氏六代の盛衰の舞台となった。そして、宿敵である毛利(元就)氏が尼子(義久)討伐に乗り出した結果、永禄9(1566)年に尼子義久は毛利氏の軍門に降って尼子氏は滅亡することになった。
その後、覇権を握った毛利氏も関ケ原で敗れ、堀尾氏が入封するが、この地が領国経営に不便であるため慶長16(1611)年に松江に移ってしまった。


月山富田城石垣

JR山陰本線・安来駅からバス(25分)にて「安来市立病院前」で下車。城跡まで徒歩で30分。


富田城跡は中世山城址を代表する遺産として昭和9年1月に国史跡指定を受けた重要文化財。東西約1.2km、南北約1.2kmに縄張された総面積約140万㎡の日本でも最大級規模の城跡です



飯梨川の奥にある月山(標高184m)

①入口前広場と安来市立歴史資料館(右)
 
下から見る三の丸 



②太鼓壇〈千畳平)
尼子時代にはこの場所に「鼓楼」があり、通常時は時を告げるなど、また、非常時には太鼓を打ち鳴らし合図を送る場所であった





③山中鹿介像
山陰の麒麟児といわれた山中鹿介は、尼子家再興を願った武将。




花ノ壇へ



④花ノ壇

武士の詰所(復元)



月山下にある山中(さんちゅう)御殿の石垣
山中御殿は、月山富田城の御殿があったといわれている場所で、菅谷口(東側)、塩谷口(西側)と大手口(御子守口:南側)の主要道がここに通じている。
しかし、この曲輪から三ノ丸・二ノ丸・本丸へは一本道を登って行かなければならず、容易に攻め落とされない構造となっている。



⑤山中御殿平
大手門を上がったところの大きな平地で、防御の要となる重要な場所。奥に菅谷口門跡がある



山中御殿東にある菅谷口跡
この先に難所の七曲りがある

⑥菅谷口門跡

菅谷口軍用道路入口



親子観音
堀尾家お家騒動

慶長9(1604)年に、父の堀尾忠氏が早世したため、その子・忠晴が6歳にして家督を継いだ。しかし、政治を取り仕切れるような年齢ではなかったため、祖父・吉晴が忠晴に代わって執政を行なった。しかし、慶長12(1607)年に堀尾家の筆頭家老・堀尾河内守が自分の息子(堀尾吉晴の娘との子)を後継ぎにしようと、忠晴を監禁した上、暗殺しようとしたが失敗をする。河内守と掃部の父子は流罪のうえ切腹を申し付けられた。
その堀尾家お家騒動の当事者堀尾河内守とその子掃部の霊を祀った宝筐印塔。



⑦七曲り登城路

七曲り
山中御殿から山頂への一本道



石畳の七曲りを登り切ると稜線に出る。

三ノ丸石垣
石垣は段状に積み上げられ、武者走りのように兵が通路としたり、敵を待ち構えるようになっている



⑧三ノ丸
 三の丸壇。本丸跡にある奥宮・勝日高守(かつひだかもり)神社の鳥居



⑨二の丸
南北約20m、東西約15mの二ノ丸上には休憩所が設けられている



本丸から見た広瀬町の町並みと京羅木山



二の丸
二ノ丸と本丸の間は深さ約10mの空堀(堀切)で区分けされている。これにより、本丸への侵入を防いでいる。



山中鹿介幸盛記念碑
鹿介を偲び、明治44年12月に本丸跡に建立された記念碑。鹿介は天正6(1578)年7月17日没(享年39)


⑩本丸跡
本丸は奥行約200mの広さがある。天文12年(1543)、大内・毛利連合軍が尼子を攻めたとき、新宮党の尼子国久等の奮戦により撃退している。難攻不落の城と呼ばれていた。



⑪勝日高守神社
富田八幡宮の里宮は境内社・勝日(かつひ)神社。山頂にある勝日高守(かつひだかもり)神社が奥宮となっている。勝日高守神社は城の守護神社で、築城以前から所在したと伝えられている。保元年間(1156~59)、平家の藤原景清が月山富田城を築くと城の鎮守社として崇敬庇護され、特に戦国時代に富田城の城主となった尼子氏は篤く信仰したと伝えられている。



飯梨川
右岸に三日月公園がある


尼子経久(あまごつねひさ)像

月山富田城の麓・三日月公園内にある尼子経久騎馬像。
尼子経久は、出雲守護代・尼子清定の嫡男として長禄2(1458年)に生まれた。尼子氏は、出雲守護を務める京極政経の守護代として、文明11(1479)年、月山富田城に入った。



                   
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