現存天守閣・12名城めぐり(島根県・松江城)   .


  (島根県松江市)

松江城
松江市の宍道湖北畔にそびえ立つ松江城は、現存する全国の12城の中で、平面規模で2番目、高さで3番目、古さで6番目を誇る国指定重要文化財です。


天守閣
松江城の特徴は望楼式の天守と下見板張、そして千鳥破風に華頭窓のある桃山時代初期の実践型の天守閣。

現存天守12城の一つである松江城は、島根県松江市の宍道湖畔の亀田山に建っています。山陰に残る唯一の現存天守です。

関ヶ原の戦いの功により城主となった堀尾吉晴は、慶長5年(1600)に毛利一族の吉川広家に替わって遠州浜松から出雲・隠岐24万石の太守となった。
吉晴が当初入城した月山富田城は、かつて尼子の本城で周囲を山々に囲まれた山城であった。
このため軍事戦略上、吉晴は宍道湖のほとりの標高28mの亀田山に築城を計画し、5年間にわたる難工事の末、慶長16年(1611)にほぼ完成した。
しかし、城主は吉晴・忠氏のあと3代忠晴に嗣子がなく断絶。その後、京極忠高も4年で病死し、寛永15年(1638)に徳川家康の孫にあたる松平直政が信州松本城から入城した。
その後、松平氏は10代・215年続き明治を迎えました。



古写真(1875:明治8年)
城郭の広さは東西360m、南北560mもあり、周囲に幅20〜30mの内堀をめぐらしていた。
本丸には天守と荒神櫓など6つの櫓を配し、二ノ丸・北ノ丸・二ノ丸下ノ段のほか本丸周辺には腰曲輪・中曲輪・外曲輪・後曲輪が配置されていた。
松江城は明治になって城内の建物は天守を除きすべて取り壊され、天守も米100俵(180円相当)で売却されるところだったが、地元有志の保存運動で救われた




武家屋敷・小泉八雲住居跡もある
小泉八雲住居跡
小泉八雲の住居跡

二の門跡

復元された本丸一の門

寄木柱

柱は、肥え松の一本の柱の外側に、板を揃えて寄せ合わせ、これを金輪で締めて太い柱が作られている。
寄木柱は普通の柱より力学的に強く、吉晴の苦心の作といわれている。


しゃちほこ

木彫り銅張りの鯱。高さ2.08mで現存する木造の中で最大のもの

天守より本丸庭園を見たところ

遠くに宍道湖が見える


10.03.15
| 城を訪ねて三千里TOP |

| 画面上部へ戻る  |  |  |
inserted by FC2 system