奈良・大和高取城(標高583.9m)は、岡山・備中松山城(430m)、岩村城(717m)と並ぶ日本三大山城の一つ。
三大山城の中で比高(麓からの高さ:350m)が一番あり、城の規模が大きかったというのがこの城の特徴です。
高取城は、大和高市一帯を治める豪族・越智邦澄が元弘2(1332)年に高取山頂に砦を築いたのが始まりと伝えられています。
天正13(1583)年、郡山城主となった豊臣秀長の命を受けて本多太郎佐衛門(約1万5千石)が高取城主となった。太郎佐衛門は天正17(1589)年に家臣・諸木大膳に城の縄張りを命じ、近世的城郭として整備した。
すなわち、本丸には、多聞櫓で連結された3重の大小の天守閣、二の丸には大名屋敷が配置され、さらに城内には三重櫓が17基造られた。
本多氏の後、寛永17(1640)年に徳川家光の重臣・植村家政(2万5千石)が入城し、明治維新まで14代、228年に渡り植村家の居城であった。そして、明治維新の廃藩置県により明治6年(1873)年に廃城となった。
国の指定史蹟となっている。
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