現存天守閣・12名城めぐり(兵庫県・姫路城)   .


  (兵庫県姫路市)


姫路城(平成21年4月撮影) 裏:平成22年3月撮影
姫路城は2009年(平成21年)10月9日から2014年(平成26年)まで約5年間をかけて「平成の大修理」が行われています。2010年4月からは大天守は鉄骨と鉄板でできた「素屋根(すやね)」で上からすっぽり覆われるので、外からは見えなくなります。
私といえば、2009年春に桜の咲いている時期に行ったのですが・・・、「美人?薄命」を長年続けているカミさんから、死ぬまでにもう一回見ておきたいというので2010年に出かけました。修理が完成する5年後といえば相当足腰弱っているはずなので、これが見納めかも・・・。



大天守

天正8年(1580)約420年前、羽柴秀吉が黒田官兵衛孝高のすすめに従い、西国支配の根拠地として3層の天守を築きました。

現在の姿を持つ大城郭を築いたのは、織田信長・豊臣秀吉に仕え、関ヶ原の戦いでは徳川方について戦功のあった池田輝政(1564-1613) です。
関ヶ原の合戦後、徳川家康の娘婿である池田輝政は播磨52万石を領する姫路城の城主となりました。輝政はその豊かな財力と徳川幕府を背景に8年の歳月をかけ5層7階の大天守を築城。
輝政は慶長18年(1613)1月25日、姫路城で没した。50歳。

池田輝政の死後、池田輝政の嫡男池田利隆の長男・光政が城主となるが鳥取へ転封。本多忠政が姫路城主へ。その子忠刻の奥方に千姫(徳川秀忠の長女)を迎え、「化粧櫓」や「西の丸」一帯を築き、元和四年(1618)今日の全容を持つ姫路城が完成した。




乾小天守と大天守
乾小天守は三小天守の1つで天守台の西北隅(乾の方角)に位置しています。
大天守は外観5重・内部は地下1階・地上6階の造りになっていて、最上階の大棟両端には阿吽(あうん)一対の大鯱瓦(しゃちがわら)を飾っています。外観は千鳥破風(ちどりはふ)・大千鳥破風・唐破風(からはふ)を組み合わせ、調和のとれた非常に美しいものになっていて別名「白鷺城」とも呼ばれています。



菱の門

姫路城内で最も大きな門。二の丸の入口を固めた門で、両柱の上の冠木に木彫りの菱の紋のあることから、この名前が付いています。


扇の勾配

石垣が上にいくほど扇形に広がることから付けられた。敵に石垣をよじ登らせないための工夫といわれている。



大天守

姥が石
秀吉築城の際、石集めに苦労してたときに、貧しい老婆が商売道具の石臼を寄付したことから、多くの石が集まって石垣が完成したと伝えられています。


油壁
姫路城の壁はほとんどが白漆喰の壁ですが、「ほ」の門の内側は粘土に豆砂利を米のとぎ汁で固めたもので秀吉築城の名残りのものといわれているとか

姫路城平成の大修理


保存修理事業のスケジュール

   ..... 詳しく


平成の大修理のためクレーンが準備されている

平成22年4月からの本格修理のためこれが見納めとばかりに観光客が押し寄せています。
改札口前は入場制限で人が溢れています。

入場後も天守閣への登城口は長蛇の列
働かない人がこんなに多くいてもいいのかなぁ・・・。

09.04.06&10.0314

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