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 城下町てくてく歩き(明石城) .
城を訪ねて、てくてく旅

(兵庫県・明石市)
 



巽櫓
1617年(元和3年)徳川 家康の曾孫にあたる信州松本の小笠原忠真が明石10万石に移封になった際に、徳川秀忠と姫路藩本多家の強い支援をうけて築いた城。西国の外様大名監視の目的も含めて築城された。
築城にあたって、一国一城令によって廃城となった伏見城、船上城や三木城などの資材が用いられたと言われている。
天守閣は建設されず、四隅に巽櫓、坤(ひつじさる)櫓、乾櫓、艮櫓があったが、現存しているのは坤櫓と巽櫓である。





JR明石駅前にある明石城公園の濠

明石公園の入口

坤(ひつじさる)櫓(左)と巽櫓(右)。いずれも国指定重要文化財

 

明石公園と巽櫓
巽櫓は、播磨国明石郡(兵庫県明石市新明町)にあった城で高山右近によって改修、拡張された船上(ふなげ)城の遺構といわれている。

巽櫓(国指定重要文化財)
本丸の南東端に築かれた入り母屋づくりの三層三階の櫓横9.09m、奥行7.27m、高さ12.19mの隅櫓

巽櫓

本丸天守台跡
結局、天守閣は作られなかった

 

坤(ひつじさる)櫓(国指定重要文化財)
伏見城の遺構と伝わる三層三階の櫓。天守閣が造られなかった明石城では最大の規模をもつ。天守台のすぐ南にあり、天守閣に変わる役割を果たしたといわれている。

坤櫓
横10.90m、奥行き9.09m、高さ13.60mの入り母屋づくりで、建物の向きが巽櫓とは異なって建っている。


明石城 武蔵の庭園

宮本武蔵が明石城内に樹木屋敷を造ったという記録があり整備された公園。
出生地である播磨地域には多くの足跡を残したといわれ、初代城主小笠原忠政に招かれ、明石の町割りや城内樹木屋敷の設営にかかわったという。


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                                                   (12.8.25)

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