竹田城は、JR竹田駅の真上にある標高353.7mの古城山(虎臥山)の山頂に築かれています。秋から冬にかけて円山川から発生する川霧が城跡を包み込み、朝霧の中に浮かぶその姿が「天空の城」あるいは「日本のマチュピチュ」と呼ばれるようになりました。映画やCMなどで放映されて以来、観光客(私もそうですが)が押し寄せて大変なことになっています。
1443(嘉吉3)年、応仁の乱での西軍の中心人物であった室町後期の武将・山名宗全が13年の年月をかけて砦を築いたと伝えられています。
天正〜慶長のはじめまでの間に、現在残っているような堅牢な石垣が積まれた城となりました。
本丸・天守台を中心に東西約100m、南北約400mの城郭に、二の丸、三の丸、南二の丸が連郭式に配置されていて、両翼には北千畳、南千畳が広がり、さらに本丸後方に花屋敷と称する屋敷群を配置しています。
天正10(1582)年 に秀吉が但馬を制圧し桑山重晴が城主となる。その後、天正13(1585)年に赤松広秀(斉村政広)が入封するが、慶長5(1600)年)に、赤松広秀は関が原の戦いに西軍に組して敗れた結果、鳥取城にて自刃してしまい、竹田城は廃城となってしまった。
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