城下町てくてく歩き(名古屋城)   .
城を訪ねて、てくてく旅

(愛知県・名古屋市)
 


名古屋城は、徳川家康が天下統一の最後の布石として築いた城。
江戸幕府が体制を確立する激動の時代に、濃尾平野を見晴るかす高台に忽然と巨大な城郭が誕生



五層五階の大天守台
この天守台は加藤清正が築いたもの


那古屋城

 名古屋城の前身である「那古屋」城は、大永元年に今川義元の父である駿河・遠江守護「氏親」が尾張に侵入し、名古屋台地西北端に築いたもの。
氏親は一族である今川氏豊を城主として守らせていたが、天文元年、氏豊は織田信秀に城を奪われ、以後織田信秀の居城となった。 信秀の嫡男信長は、天文3年にこの那古屋城で生まれた。 
同年、信秀は今川に備えるため古渡城を築いて移り、信長が城主となった。

 弘治元年、織田信長は清洲城へと居城を移し、那古屋城へは叔父の織田信光が入ったが、その後廃城となった。

名古屋城

慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦の勝利を経て江戸幕府を開いた徳川家康は、大坂城の豊臣秀頼との武力衝突に備えて、城の整備を進めました
 慶長14年、徳川家康は9男義直を清洲城に封じるが、家康は天下取りのために大坂城の豊臣秀頼に対して、濃尾平野の要地に大規模な城郭を築城することを考えていた。江戸幕府が体制を確立する激動の時代に、濃尾平野を見晴るかす高台に忽然と巨大な城郭が誕生しました。

 前線基地にある清洲城は、大軍を収容できる規模がなく、五条川に臨む低地にあるため、しばしば水害にも見舞われていました。そこで、小牧・古渡・那古屋の内、今川氏が築城の那古屋城址に築城を決定した。

 将軍徳川秀忠が、西国の20大名・・・・前田・加藤・福島・細川・黒田等の豊臣恩顧の大名達に助役を命じ、約3年の歳月をかけて完成した。


本丸御殿復元予想図
1945年(昭和20年)5月14日の名古屋空襲により、本丸御殿、大天守、小天守、東北隅櫓、正門、金鯱などが焼失した。
天守台は1959年(昭和34年)に再建されて、復元された金鯱とともに名古屋市のシンボルとなった。

現在、本丸御殿の再建が平成20(2008)年から着工され平成34(2022)年完成を目指して復元工事が進められている。
平成22(2010)年における第一期工事のうちの玄関部分の復元が計画され、またこれにあわせて、戦災を免れた障壁画の復元模写も同時に進められる予定である。 



城の縄張りは肥後熊本の加藤清正
同行のガンちゃんは熊本出身の江戸っ子?
郷土の英雄の前で記念写真





東南隅櫓

表二乃門

五層五階の大天守台には金の鯱が輝いていた

天守台内は資料館になっている

天守台からみる名古屋市内

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