現存天守閣・12名城めぐり(愛知・犬山城)   .


(愛知県犬山市)   


犬山城
天守閣は木曽川に接する標高80mの三方断崖の丘にある

犬山城は別名「白帝城」ともいわれている

犬山城天守閣は日本最古のもの。現存天守12城の一つで国宝。
3.6mの天守台石垣の上に三層四階で建てられている。

犬山城は文明元年(1469)室町幕府管領、斯波義郷の家臣、織田広近が築いた。
天文6年(1537)、織田信長の叔父である五代織田信康が木曽川断崖の丘上に本丸を移築した。そして、信康の子・信清のとき織田信長に攻められ落城してしてまった。
天正10年(1582)信長の死後、織田信雄(清州城)の属城となり、城代が置かれた。
徳川家康が豊臣秀吉に勝利したと云われている小牧・長久手の戦(1584)では、秀吉が12万人の大軍を率いてこの城に入城し、小牧山城の家康と対峙したことでも有名。






最も古い天守閣
文禄4年(1595)に石川光吉が入城。光吉は城を改修し天守を造ったが、関ケ原の戦いでは三成の西軍側であったので所領を没収されてしまった。
慶長6年(1601)家康の四男・松平忠吉が清洲城に入ると犬山城はその属城となり、小笠原吉次が城代として入った。その忠吉は慶長12年(1607)、関ヶ原の戦いの折に負傷した傷がもとで死去。同年家康の十男義直が清洲に入封するとその家臣、平岩親吉が犬山城に入った。

その後、元和4年(1618)には尾張藩付家老・成瀬正成が三万五千石の城主となり明治に至った。
明治維新による廃藩置県のため、犬山城は愛知県所有となった。明治24年(1891)の濃尾地震で犬山城は半壊してしまい、その修復を条件に城は再び成瀬家の所有となった。
平成16年に財団法人に移管するまで、日本で唯一、個人所有の城であった。



本丸門

天守からの木曽川

現存天守閣はやはり歴史の重みを感じますね。
カミさんの友人夫婦との旅でした

09.07.24
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