徳川家康が、自らの居城として築城させたもので、天正17(1589)年に天守閣をはじめとする二の丸までが完成。しかし、天正18年小田原の役後に豊臣秀吉によって関東に移封。
その後、慶長8(1603)年、家康は征夷大将軍に任じられ江戸幕府を開くが、慶長10年(1605)将軍職を息子の秀忠に譲り、大御所として江戸城から駿府城に移り隠居城として城の大修築を行い、慶長13年に完成した。
家康は元和2(1616)年3月死去。
寛永12(1635)年に城下町の火災により駿府城にも延焼し、天守閣や御殿、櫓などの大半を焼失してしまった。その後、天守閣は再建されなかった。
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徳川家康の居城は五層七重の壮大な天守閣を持つものであった |
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