城下町てくてく歩き(岐阜城)   .
城を訪ねて、てくてく旅

(岐阜県・岐阜市)
 


金華山山頂(標高329m)に築かれた岐阜城

現在の城は昭和31年に3層4階建てとして復興された

美濃の守護土岐頼芸を追放した斎藤道三の居城。その後、1567年(永禄10年)に道三の孫である龍興を倒した織田信長が城の名を稲葉山城から岐阜城へと改名した。

天正3年(1575年)に岐阜城を息子信忠に譲るまでの間、「天下布武」(天下統一)の志をかかげ、城下町の復興に力を注いだ。 その後、安土城が完成したのは1579年。


しかし1600(慶長5)年、関ヶ原の合戦の前哨戦で、信長の孫、秀信が石田三成の西軍に味方したため東軍に攻め入られ落城。

1601年(慶長6年) 徳川家康は岐阜城の廃城を決め、岐阜城山頂にあった天守、櫓などは加納城に移したという。
現在の城は昭和31年に鉄筋コンクリート造り、3層4階建てとして復興された

天守閣


天守閣からの眺め。標高329mに建つ岐阜城の最上階からは、眼下に鵜飼で有名な清流長良川が、東には恵那山、木曽御岳山が雄大な姿を見せ、北には乗鞍、日本アルプスが連なって見えます。かつて、ここで信長も天下を目指していました。

織田信長の館跡
さすがに年がら年中山頂の天守閣に居るわけにもいかず、
執務は山麓ということになりますね


天守閣

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