城下町てくてく歩き(岩村城) .
城を訪ねて、てくてく旅

(岐阜県・恵那市)
 



岩村城ガイドブック
岩村は関東の人間にとってなじみの薄い場所ですが、訪れてみて感じたことですが、情緒あふれる素敵な城下町ですね。

岩村城は、奈良・大和高取城(標高583m)、岡山・備中松山城(430m)と並ぶ日本三大山城の一つであり、本丸は日本一標高(717m)が高いところにある山城。



戦国時代、岐阜県の東美濃地方に勢力を張っていた遠山三人衆の本家・遠山景任の居城がここにあった。

景任の妻は、織田信定の娘で信長の叔母にあたる「おつや」の方。美濃岩村城の城主であった夫の遠山景任が元亀2(1571)年に病気で亡くなったため、「おつや」は信長の五男御坊丸を養子に迎え入れることになった。

御坊丸は当時6歳(不明?)であったためおつやの方が後見となり、事実上女城主として采配を振るったといわれている。


この付近は霧が多く発生するため、別名・霧ヶ城とも呼ばれる。




岩村城太鼓櫓(復元)





岩村藩主邸跡にある長屋門と太鼓櫓
江戸時代に、時を知らせるために作られた櫓(平成2年復元)。岩村藩主邸跡は現在城址公園となっている。

慶長6年(1601)松平家乗によって岩村城の北西山麓に藩主邸が構えられました。 下屋敷とも呼ばれましたが、明治 14 年(1881)に火事で全焼してしまいました。 平成2年に太鼓櫓、表御門、平重門などが復元されました。



登城口からは山道が続いてハイキング?コースとなる



下田歌子学問所跡
石畳を歩いてすぐに明治時代の教育者 下田歌子の石碑や学問所などが並ぶ


藤坂
山麓の藩主邸跡から一の門までの間の石畳の坂道全体を「藤坂」という



石畳の坂道が続く。途中にジグザクに曲がっている箇所があり、敵の侵入を遅らせるための工夫がされている。
当時は「初門」という名前がつけられていたようだ。




一ノ門跡

古絵図によると、二層の櫓門が築かれ、その左右には土塀あるいは多聞櫓が続いていたようだ。
藩主邸からの登城道の最初に設けられた岩村城第一の門で、櫓門とその脇に単層の櫓が構 えられていました



土岐門跡

説明板によると、その昔、遠山氏が土岐氏との戦いに勝ち、土岐氏の居城であった城門を戦利品として奪って移築したという伝承によって土岐門と呼ばれるようだ。



畳橋
一之門の規模をはるかに越える巨大な石垣があり、橋が作られていた?

追手門
土岐門に続く第三の門が追手門で、前面の空堀には畳橋と呼ばれる木橋がかかっていた。追手門の側には天守に相当する三重櫓(橋櫓)が構えられていた。


天守に相当する三重櫓(橋櫓) 
ハリボテだが駅から目るとホンモノそっくりの姿。



竜神の井
一帯の曲輪は「五郎作屋敷跡」

霧ヶ井
城主専用の霊泉であったという。敵が攻めてきた時、城内秘蔵の蛇骨を投じると霧に覆われて城を守ったという伝説があるとか。岩村城の別名「霧ヶ城」の由来。




菱櫓跡



岩村城跡の最大の石垣遺構~六段壁
本丸の北東面にヒナ壇のように築かれた石垣。これは、一番上の高石垣の崩落を防ぐために補強された石垣が六段となったもの。



長局埋門(ながつぼね うずみもん)






本丸跡



本丸跡
本丸。周囲は土塀で囲まれ、二重櫓2棟、多聞櫓2棟、門が3つ設置され、内部には何も建物が無かったようだ。





埋門
本丸埋門は裏口となっている



岩村の城下町

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