岩村城は、奈良・大和高取城(標高583m)、岡山・備中松山城(430m)と並ぶ日本三大山城の一つであり、本丸は日本一標高(717m)が高いところにある山城。
戦国時代、岐阜県の東美濃地方に勢力を張っていた遠山三人衆の本家・遠山景任の居城がここにあった。
景任の妻は、織田信定の娘で信長の叔母にあたる「おつや」の方。美濃岩村城の城主であった夫の遠山景任が元亀2(1571)年に病気で亡くなったため、「おつや」は信長の五男御坊丸を養子に迎え入れることになった。
御坊丸は当時6歳(不明?)であったためおつやの方が後見となり、事実上女城主として采配を振るったといわれている。
この付近は霧が多く発生するため、別名・霧ヶ城とも呼ばれる。
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