城を訪ねて三千里(金沢城)
城を訪ねて、てくてく旅

(石川県・金沢市)
 


石川門
(2004.1)
現存する石川門は、天明8(1788)年に再建された
加賀百万石の金沢城は、天正11年(1583年)に前田利家により本格的な築城が行われた。利家は、キリシタン大名として知られる高山右近を招いて築城の指導を受けたという。
明治2年(1869年)まで加賀藩前田家14代の居城であった。

慶長7(1602)年、落雷により天守閣を焼失。しかし、天守閣は再建されず、本丸には三階櫓、二の丸に御殿が建てられた。
さらに 宝暦9(1759)年の火災では、城のほとんどを焼失してしまった。
これをきっかけに、本丸の櫓は再建せず二の丸を中心に実用性を第一に整備された。
また 菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓は、文化5(1808)年の二の丸火災の後再建されたが、明治14(1881)年の火災で焼失してしまった。平成13年に古絵図や古文書などをもとに復元された。

菱櫓



石川門
(2006.9)
重要文化財に指定されている金沢城のシンボル石川門は、天明8年(1788)に再建された。金沢城の搦手(裏口)門で、続櫓と2層2階建ての石川櫓で構成された枡形門。白く見える屋根瓦には鉛を使用しており、戦になった時に、瓦を溶かして鉄砲弾に作り変えるための工夫だったとも言われている。

石川門・二の門




橋爪門と続櫓(2006.9)
内堀と鶴の丸土塀
続櫓は二ノ丸の正門である「橋爪一の門」を見下ろす物見櫓。 三の丸広場から「橋爪橋」を渡り、「橋爪一の門」を通って二ノ丸へ向かう人々を監視するための重要な櫓で 「橋爪櫓」とも呼ばれている。

続櫓から見た「橋爪一の門」と内堀。続櫓には物資を2階へ荷揚げするための大きな吹抜けがある。




(左から)橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓(2006.9)
1989年までは金沢大学のキャンパスがあったところで、かなり昔(40年前?)に来た時には、この場で学生がテニスをしていたことを思い出します。その後、何度(2004,年、'06年、'07年)かここに来ましたが、現在は金沢城址公園として整備されてすばらしい公園となっています。


五十間長屋(2007.10)
五十間長屋は、橋爪門続櫓と菱櫓を結ぶ多聞櫓と呼ばれるもので、石垣や土塁の上に建てられる長屋造の櫓のこと。
武器や什器等の倉庫として使用されていた。

橋爪続櫓(左)と五十間長屋(2004.1)

多聞櫓(五十間長屋)の2階には、太い松の梁等、木組をそのまま見ることができる。
多聞櫓の由来は、永禄3年(1580)、大和国を平定した松永久秀が多聞山城を築いた事が始まりで、その櫓の内に多聞天(四天王の1つで北の守神)を祀っていたことによると云われている
金沢市内 写真



菱櫓
鈍角100度、鋭角80度の菱形の建物で、柱もすべて菱形となっている。天守閣のない金沢城のシンボル的な建物で二ノ丸でもっとも高い建造物。大きな石落しや千鳥破風の華やかな外観となっている。

西側から見た再建された菱櫓と五十間長屋
木型に厚さ1.8mmの鉛を貼った鉛瓦や、平瓦を貼った目地を白塗漆喰で固めた海鼠壁が特徴の建物

秋の菱櫓
(2007.10)
平成13年(2001年)に復元された菱櫓は、当時は大手と搦手(からめて)を見張る物見櫓として重要な役割を果たしていた

冬の菱櫓
(2004.1)



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