城下町てくてく歩き(高岡城)   .
城を訪ねて、てくてく旅

(富山県・高岡市)
 

高岡城_内濠と石垣
高岡城は第2代藩主前田利長の隠居城で日本100名城に選ばれています。
城は、高岡市のほぼ中心部にあり、その総面積は約21万u。前田支藩の一つである富山前田家居城(10万石)の富山城の22万uに匹敵する大きさです。
現在、復元天守がそびえる佐々成政の富山城は、日本100名城に選ばれていないのは、加賀藩直営ではなかったからか・・・。
そんなわけで、高岡城は天守閣や櫓が残っているわけではなく、古城跡をみながら昔を思い出せということでしょう。



現在は高岡古城公園として整備されている



高山右近の銅像
高岡城の縄張りをしたのは、高山右近といわれていますが、現在では築城期間に右近は加賀藩に滞在していなかった証拠などが見つかり、この説はかなり怪しくなっています。

高山右近の銅像
秀吉のバテレン追放令により流罪となった高山右近(1552-1615)は、加賀前田家に迎えられ、前田利長の参謀的な存在として、小田原の北条攻めや、大聖寺城攻めなどで活躍。
慶長19(1614)年正月に徳川幕府の禁教令により国外追放処分となり、元和元(1615)年マニラで没した。信仰に殉じた右近の名は遥かヨーロッパまで届いていたという。




市街地の中心に位置し、広大な敷地の3分の1が水濠となっている


高岡城を築いた、加賀2代藩主前田利長

高麗門形式

高岡城
二の丸から本丸に渡る土橋の両側に
築城期の石垣が残っている



高岡市内

曹洞宗高岡山「瑞龍寺
瑞龍寺は、加賀藩2代藩主前田利長の菩提寺で、今から約350年前の天保2年(1645年)に着工され、完成までに約20年もの歳月を経たそうです。
敷地面積36千坪(高岡城の約半分の広さ)に、伽藍が配置され、山門、仏殿、法堂は1997年、富山県で初めて国宝に指定された。総門、禅堂、大庫裏、回廊、大茶室は国の重要文化財。

法堂

高岡大仏
日本三大大仏といえば、奈良の大仏、鎌倉の大仏、そして、高岡の高岡大仏です。
高岡大仏の歴史は古く、始まりは1221年頃までさかのぼります。
当時、摂津国の源義勝が越中に移り、二上山麓に1丈6尺(約5メートル)の木造大仏を造営したのが始まりといわれています。
その後、慶長14年(1609年)に前田利長の高岡城築城とともに現在の大手町に移されましたが、木造の大仏は大火により2度消失し、さらに明治33年(1900年)の大火でまたまた消失してしまいました。

昭和8年(1933年)5月に、400年の伝統を誇る高岡銅器の職人の手によって大仏が完成し、開眼式が盛大に行われました。





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