城下町てくてく歩き(春日山城) .
城を訪ねて、てくてく旅

(新潟県・上越市)
 



春日山城跡・上杉謙信公像


春日山
春日山城は日本海や頸城平野が一望できる標高180mのところにあった


春日山は、戦国の名将・上杉謙信公の居城として知られる春日山城があった場所。

標高180mの頂にある春日山城は、複雑な自然の地形を巧みに利用した堅固な城塞となっている。

また、春日山の裾野には、約1.2kmの堀と土塁で回りを固めた防御線があり、山中には人工的に造られた空堀や土塁があって難攻不落の城となっている。

ところで、春日山城は、越後守護・上杉氏が関東・北陸・信濃への交通の要衝地・越後高田を監視する役割を担っていた。
そして、この地を守護代の長尾氏が代々守っていた。
その後、長尾景虎が上杉憲政の養子となり、関東管領職として上杉謙信を名乗ることになる。

 春日山城の規模が拡大したのは、上杉謙信のときで、跡継ぎである上杉景勝とその名参謀・直江兼続の時代に黄金期を迎えた。


戦国時代の城は山城が多く、この春日山城もアップダウンがきつく、登城のため毎日山へ登る部下達は大変だったでしょうね。





春日山城本道

春日山神社参道

春日山神社
山形県米沢市の上杉神社より分霊され、謙信公を祭神に祀った神社


春日山城へ




春日山神社横の道から春日山へ

上杉謙信もこの山道を登っていった・・・。

春日山神社から約15分登ると二の丸へ

天守台跡
二の丸から5分で天守台へ

天守台の隣には本丸がある



標高約180mにある本丸跡からは、日本海や越後高田の
頸城平野、それを取り巻く山並みをも一望できる



上杉景勝屋敷跡
天守台のすぐ下にある



毘沙門堂
謙信はいざ出陣となると毘沙門堂に籠り、毘沙門天に戦勝を祈願したといわれる。

直江兼続屋敷跡
家康の詰問状に、理 をもって堂々と反論した「直江状」で有名な上杉景勝の名参謀・直江兼続の屋敷跡。
謙信の馬標 懸り乱れ龍の旗
上杉軍は出陣のときに「毘」の軍旗を先頭にして、疾風雷電のごとく戦場へ向かった。また、「龍」の軍旗は「懸り乱れ龍」の旗と称され、総攻撃の際にこの軍旗を先頭におしたてて、敵陣に突撃したという。その有様は、龍神のごとく敵を一気に呑み込むかのようであったという

林泉寺
春日山林泉寺は約500年前に上杉謙信(長尾景虎)の祖父長尾能景が父重景の菩提を弔うために、越後国高田に建立した。その後、上杉家を相続した謙信によって上杉家の菩提寺となった。
 時は流れて慶長6年(1601年)、会津120万石であった上杉景勝は、関ヶ原の合戦後、米沢30万石の減封となり、林泉寺も米沢に移った。


林泉寺山門
。「懸かり乱れ龍」の旗は、合戦の突撃の合図に使用された

楼門

楼門に掲げられた「第一 義」

楼門の天井に描かれた龍の図
 

林泉寺本堂

林泉寺鐘楼


上杉家墓所参道

上杉謙信公墓所

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