城下町てくてく歩き(新発田城) .
城を訪ねて、てくてく旅

(新潟県・新発田市)
 


新発田城三階櫓
新発田城は、天正15(1587)年に上杉景勝に滅ぼされるまで新発田重家が本拠地としていた所。
その後、慶長3(1598)年、加賀(大聖寺)から入封した初代藩主・溝口秀勝が旧新発田城跡に築城した。3代目宣直のときに完成し、本丸には実質上の天守として三階櫓が築かれた。
その三階櫓には、T字型の屋根に3つの鯱が載るというめずらしい櫓であった。
しかし、新発田城は明治4(1871)年の廃藩置県、明治6(1873)年の廃城令により破却されてしまった。
その後、市民の願いにより平成16(2004)年に復元された。



表門
寛文8(1668)年に三の丸から出火した大火(寛文の大火)により城の大部分を焼失してしまった。表門は1732年に再建された櫓門で、国の重要文化財に指定されている。



新発田城三階櫓
新発田城の敷地は現在その多くが陸上自衛隊の駐屯地となっている。三層櫓も陸自敷地内にあるので入場できない。

(C)新発田市教育委員会・文化行政課



三階櫓
三階櫓は実質的な天守であった。承応3(1654)年に建てられたが、寛文の大火(1668)により焼失してしまった。その後、延宝7(1679)年に再建したが、明治の廃藩置県令により破却された。現在のものは平成16(2004)年に復元されたもの。


三階櫓は3つの鯱と海鼠(なまこ)壁が特徴の櫓

海鼠(なまこ)壁



鉄砲櫓(旧二の丸隅櫓)
寛文の大火後に再建した二の丸隅櫓をここに移築したもの。国の重要文化財


鉄砲櫓(旧二の丸隅櫓)の内部

辰巳櫓の内部



表門と辰巳櫓

辰巳櫓
2004年三階櫓とともに木造で復元された




新発田は堀部安兵衛の誕生の地
堀部安兵衛といえば、高田馬場の仇討、赤穂四十七士のひとりとして有名。
その堀部安兵衛は、新発田藩士・中山弥次右衛門の息子として生まれたが、父の不始末により中山家は家名断絶となった。その後、紆余曲折を経て堀部弥兵衛の婿養子となり,四十七士のひとりとして吉良邸に討ち入りをすることになる。


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