城下町てくてく歩き(小諸城) .
城を訪ねて、てくてく旅

(長野県・小諸市)
 


三の門(重要文化財)
浅間山麓に位置する小諸城は、武田信玄の東信州経営のために信玄の軍師であった山本勘助が縄張りしたと言い伝えられている。
勘助は、小諸城を「攻めるに難しく、 守るに易い城」いわば難攻不落の城に造った。

城下町である市街地よりも低い土地に築城されたため「穴城」あるいは「鍋蓋城」という別称がある。
武田氏の滅亡後、滝川一益、北条氏、その後、徳川の時代には仙石秀久が小田原の役での功労が認められ5万石で天正18年(1590)に入城した。

その後、松平、青山、酒井と続き、元禄15年(1702)に牧野康重が移封され明治まで続いた。

なお、小諸城址は、懐古園と呼ばれ三の門には徳川家達(いえさと)公の筆になる「懐古園」の大額が掛かっている。文豪島崎藤村の千曲川旅情の歌「小諸なる古城のほとり」でも知られ、天守台石垣や苔むした野面積みの石垣が残されている。






大手門
小諸城主・仙石秀久が造った小諸城の正門で、現在の門は1612(慶長17)年の建築。

三の門
徳川家達(いえさと)公の筆になる「懐古園」の大額が掛かっている


二の丸跡

北の丸跡

紅葉谷

紅葉谷
紅葉谷は空堀。小諸城は火山灰・軽石が堆積した台地上に築かれていて、台地が雨水の浸食作用によってえぐられた「田切り地形」の深い谷を利用して堀を設けている。





天守台石垣
三重天守閣は寛永3年(1626)に落雷のため焼失している。

本丸跡にある懐古神社

鏡石
小諸城址本丸跡にある山本勘助の鏡石。 小諸城築城の時に研磨したと伝えられている


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