海津城跡碑
廃城後は、建物が壊されてしまったが、1981年に、現存する城郭建築である新御殿(真田邸)とともに国の史跡に指定された。
1995年から発掘・文献調査をもとに、櫓門・木橋・石垣・土塁・堀などの修理・復元がされている。 |
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松代城は、海津城とも呼ばれ永禄3年に武田信玄によって築城されたもの。時の城将は高坂昌信。
また、信玄と上杉謙信との川中島の合戦の舞台となった城でもある。その謙信が陣を構えた妻女山はすぐ目と鼻の先にある。
天正10年、織田信長により武田氏が敗れ、戦功のあった森長可が城主となったが、その信長が本能寺に倒れると、上杉景勝の支配するところなった。
その後、上杉景勝の会津移封によりこの地は秀吉直轄地となるが、慶長5年に森忠政、慶長8年に家康の六男・松平忠輝が城主となった。しかし、忠輝は改易され、酒井忠勝が10万石で入封する。
元和8年に真田信之が10万石を領して入封し、以後明治まで真田家の時代が続いた。
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