城下町てくてく歩き(足利氏館) .
城を訪ねて、てくてく旅

(栃木県・足利市)
 


鑁阿寺(ばんなじ)山門

足利市内にある鑁阿寺は清和源氏足利氏の邸宅跡。
その邸内にある鑁阿(ばんな)寺は、源義家の孫、足利義康の子である足利氏第2代当主足利義兼が建立したもの。
義兼は建久6(1195)年に出家して法名を鑁阿(ばんな)と称し、建久7年に邸内に持仏堂を建てて、その守り本尊として大日如来を祭ったのが始まりといわれています。
その後、3代足利義氏が堂塔伽藍 を建立し足利一門の氏寺としました。
邸内には、楼門・反橋・東門・北門・西門・鐘楼・本堂(大御堂)・ 中御堂(不動堂)・多宝塔(塔婆)・御霊屋・校倉・大酉堂・蛭子堂などが配置されている。

また、鑁阿寺は平成25(2013)年に国宝に指定された。



足利氏館跡鑁阿寺図


山門・太鼓橋
山門である楼門と堀を渡る太鼓橋は、足利13代将軍義輝が永禄7年(1564年)に再建したもの。

鎌倉時代の足利氏館は平城で、その敷地は約4万uのほぼ正方形となっており、周りを土塁と堀で囲んで守りを固めています。


本 堂
建久7年建立の本堂大御堂
平成25年(2013年)に国宝指定


経堂
義兼が一切経会を修する道場とした経堂(応永14年再建)

鐘楼
建久7年に義兼が建立したといわれる

不動堂

大イチョウ

多宝塔
徳川綱吉の母・桂昌院によって建立された

御霊屋

旧足利学校跡
足利学校は日本最古の学校といわれる。
1439年に関東管領上杉憲実が、鎌倉の禅宗五山のうち円覚寺の僧・快元を初代庠主として学校を整備して学生を養成した。
天文19(1550)年にフランシスコ・ザビエルが、「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介していた。明治5年(1872年)にその役割を終えた。


足利学校・入徳門
天保11年に「入徳」の額が掲げられた


学校門
、寛文8(1668)年の創建。

足利学校方丈(講義のための座敷)と庫裡(奥)
 .                                                   (131228) .

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